≪ロータリー賞≫
鹿児島西RCは社会の目立たないところで誠実に、継続的に意義のある社会奉仕活動を続けている個人あるいは団体を顕彰するためロータリー賞を創設。クラブ内の推薦委員会の選考を経て受賞者を決め毎年、クラブ創立記念日に表彰式を行っている。
第1回は昭和40年。
◆ 過去のロータリー賞 ◆ | 50〜41回 | 40〜31回 | 30〜21回 | 20〜11回 | 10〜1回 |
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第20回(昭和61年3月20日) |
目の不自由な人たちのために |
点訳奉仕 是枝勇夫さん(56歳) |
町の美化に取り組む |
清掃奉仕 濱島佐兵衛さん(86歳) |
校庭の美化に尽くす |
清掃奉仕 上塘ナミさん(63歳) =いずれも鹿児島市 |
是枝さんは昭和55年から県立点字図書館主催の点字奉仕者養成講
習会に参加、同56年から点訳奉仕者として登録、奉仕を続ける傍ら、後進の
指導にも尽力している。また、地区の青少年教育にも貢献している。
濱島さんは8年間に渡って自宅近くの道路清掃を続けている。また、紙くず
や空き缶などを道路に捨てる者には遠慮なく注意し、住民のマナー向上にも大
きく寄与している。
上塘さんは昭和39年に鹿児島大学に就職して以来、その働きぶりは誠実そ
のもの。特に、同50年からは清掃婦として10年余にわたり、職務に励み、
学内の美化に勤めた。
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第19回(昭和60年3月28日) |
交通遺児を支援する |
「交通遺児を励ます会」初代会長 岩下政広さん(45歳) |
少年少女の相談相手となる |
BBS鹿児島県地区会長 山下良一さん(32歳) =いずれも鹿児島市 |
岩下さんは大学生だった15年前、鹿児島に「交通遺児を励ます会」
を設立した。ボランティア会員たちと共に遺児たちの生活実態調査、街頭募金
活動を始め遺児たちの就学、就職の相談に乗るなど、幅広い救援活動を続けて
きた。現在も鹿児島市青果商業協同組合理事長の要職にありながら、同励ます
会の相談役として遺児たちの力強い支えとなっている。
ボランティア組織、県BBS会長である山下さんは、非行少年少女たちの良
き兄となり、姉となり、更正の道に導こうという運動の先頭に立ち、献身的な
活動を続けている。
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第18回(昭和59年3月22日) |
献血運動に取り組む |
鹿児島市宇宿町内会連絡協議会 |
鹿児島市青果仲卸組合青年部 |
宇宿町内会連絡協議会は昭和51年から献血運動に協力、毎年、血液が一番不足する8月に町全体で献血に取り組んでいる。
青果仲卸組合青年部は昭和52年から自発的に献血に取り組み、出入りの業者にも呼びかけ、実績を上げている。
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第17回(昭和58年3月24日) |
目の不自由な人たちのために |
県立盲人点字図書館勤務 松田恭子さん(59歳) |
同 若宮英子さん(44歳) =いずれも鹿児島市 |
松田さんは昭和38年から20年にわたり、視覚障害者のために図書の点訳を続けている。
若宮さんは10年余にわたり、やはり目の不自由な方たちのために図書朗読を続けている。
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第16回(昭和57年3月25日) |
点字奉仕の |
鹿児島高校勤務 岩下方成さん(42歳) =東市来町 |
子供たちの健全育成に尽くす |
レクリエーション指導者 島森あつ子さん(47歳) |
恵まれない人たちの面倒を見る |
駅売店勤務 福留幸子さん(59歳) |
福祉活動一筋の |
民生委員 郷原トミさん(70歳) =いずれも鹿児島市 |
岩下さんは「点字友の会」を通じて点字図書づくりに取り組み、勤
務先の鹿児島高校内にも「点字クラブ」を創立し、クラブ活動を通じて若き後
継者の育成に尽力した。
島森さんは20余年間にわたり幼児、青少年を対象としたレクリエーション
指導に尽力、子供たちの情操教育と健全な体力づくりに貢献した。
福留さんは長年、自分の職場である鹿児島西駅構内の売店で多くの旅行者の
良き相談相手になったり、身寄りのないお年寄りやホームレスの人たちを献身
的に世話し、感謝されている。
郷原さんは昭和36年に民生・児童委員に就任されて以来、さまざまな困難
にも屈せず、昼夜、社会福祉活動に邁進された。
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第15回(昭和56年3月26日) |
新聞配達を続ける |
鹿児島実業高3年 民 広和君 |
同3年 小斉平 学君 |
同1年 山下 親義君 |
吉野中2年 五百路 照美さん =いずれも鹿児島市 |
民君一家は6人兄弟のうち4人が新聞配達少年で、家計を支えてい
る。長男の広和君は、学校では学級委員長として級友の信頼を集め、1年間学級
全員皆勤という開校以来の快挙を成し遂げた。
小斉平君は、親子4人が新聞に携わっている新聞一家で中学1年から高校3年ま
での6年間、無欠勤で朝、夕刊を配り通し、他の新聞少年の模範となった。
山下君は配達員になって以来、一日も休むことなく毎朝5時には出勤。少しでも
早く読者に新聞を届けようと頑張っている。強い使命感の持ち主である。
五百路さんは父を交通事故で亡くした後、病気がちのお母さんを助け、家事や
兄弟の面倒を見ながら2年間、無欠勤、無遅刻で新聞を配達。配達先の読者から
も挨拶の仕方など人柄が高く評価された。
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第14回(昭和55年3月13日) |
保護観察者の更生に尽くす |
保護司 有島平治さん(68歳) |
スポーツ少年団の指導に尽くす |
県教委指導主事 福森千尋さん(44歳) =いずれも鹿児島市 |
有島さんは昭和47年から8年間、保護司として担当する保護観察
者の指導、援護活動に成果を上げる一方、住民の防犯意識を高めるため、啓発、
宣伝に努めている。
福森さんは昭和47年から「元気で明るく素直な子供たち」をスローガンに掲
げ、西伊敷地区ミニバスケットボールスポーツ少年団の指導を続けており、子供
たちの健全な思想と身体の育成に尽くしている。
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第13回(昭和54年3月22日) |
看護業務一筋の |
県立整肢園総看護婦長 藤園マリ子さん(48歳) |
障害児福祉一筋の |
福祉施設「ひかり学園」保母 福田登志江さん(49歳) |
独り暮らし老人に尽くす |
市家庭奉仕員 和田幸栄さん(57歳) =いずれも鹿児島市 |
藤園さんは28年間にわたり鹿児島大学病院などに勤務、看護行政、
看護婦育成など看護業務一筋に歩まれ、整肢園では障害のある園児に対し日常
生活の指導を根気強く実施し、実績を上げた。
福田さんは24年間、福祉施設に勤務し、障害児の保護育成に尽力され、ヨー
ロッパ各国の障害児教育のあり方を学ぶ研修にも自費参加され、地域の障害児教
育の向上に貢献された。また、海洋少年団の教官として子供たちの健全育成にも
努めた。
和田さんは12年間にわたって鹿児島市福祉事務所の家庭奉仕員として独り
暮らしのお年寄りの、良き相談相手となり、身の回りの世話など献身的に尽く
し、お年寄りたちから喜ばれている。
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第12回(昭和53年3月23日) |
声帯模写で慰問の |
福祉施設勤務 有馬良一さん(44歳) |
独居老人の介護役 |
家庭奉仕員 渡辺米子さん(55歳) =いずれも鹿児島市 |
有馬さんは6年前から休日を利用して県内各地の施設を巡回慰問
し、自分で描いた動物の絵を見せながら、得意の声帯模写で小鳥などの鳴き声
を披露、施設の人たちを楽しませている。
渡辺さんは15年間、市福祉事務所の家庭奉仕員として一人暮らしの老人宅
を回り、食事の世話からオムツの取替えまで親身になって世話している。
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第11回(昭和52年3月24日) |
身障者の支援を続ける |
「愛のコンパニオン」(窪園達一代表) |
マッサージ奉仕の |
鍼灸師 吉井カツ子さん(50歳) =いずれも鹿児島市 |
「愛のコンパニオン」は長年にわたり、精神薄弱児や身体障害者の
ためにスポーツレクリェーション大会を開くなど、日常生活を共にしながら、
良き友となって支援奉仕活動を続けている。
吉井さんは昭和48年から毎月1回、特別養護老人ホーム「清谿園」を訪れ、
身体の不自由なお年寄りたちにマッサージの奉仕を続けている。
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