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薩摩狂句って何?


鮫島 信一会員

 薩摩狂句は、俳句や川柳と同じように、五、七、五音からなる17音字で、 社会、風俗、人心などに取材し、うがち味、真実味、皮肉味、こっけい味、 狂句味を加え、鹿児島の方言で詠ずる句で、郷土色豊かな文芸詩です。  1908年(明治41年)今の南日本新聞の前身である鹿児島新聞社内に、 「東京地方では今も川柳など詠われ、肥後には肥後狂句なる平民文学があるが、 我が鹿児島でも方言を加味した薩摩調の狂句を始めようではないか」ということで 誕生したのが始まりだそうです。
 創始者は編集長の門馬延陵、速記者の上月玉兎、記者の江藤春風の三人でした。 しかし三人とも鹿児島出身でなく(延岡、宇和島、熊本出身)、鹿児島弁が良く分からず時々投稿していたのが、重永紫雲山人、森艶亭だったようです。 1924年(大正13年)第二代選者として寺師若法師が登場し、薩摩狂句の教祖と呼ばれ、戦前の薩摩狂句の黄金時代を築きました。
 戦後の薩摩狂句の復活は昭和24年若法師がNHK鹿児島放送局から放送し、第二の黄金時代を再現しました。 昭和25年には三條風雲児主宰の狂句専門誌「渋柿」が創刊され、現在の隆盛に引き継がれました。 更に月刊誌「さんぎし(竹馬)」は昭和32年に創刊され、昭和57年に復刊し、平成19年3月で300号が復刊継続されています。(三條風雲児著「薩摩狂句」より引用)
 私は鹿児島生まれの鹿児島育ちで、鹿児島の方言にどっぷりつかって育ちました。
慣れた鹿児島弁が年とともに次第に使われなくなっていく様を寂しく感じている一人です。薩摩狂句には鹿児島弁を取り入れるのが基本原則であるので、鹿児島弁を知りたい、使いたいと感じておられる方には 良い勉強になりますし、鹿児島の方言が使える人なら誰でも作れる気楽な文芸として発展することを願っています。
 鹿児島市医報は毎月発行されて、平成19年5月で543号と継続しているが、論説、話題、隋筆などの文芸作品も多い中で、薩摩狂句のコーナー がある。幸い数人の愛好者がいて、毎月数句提出し、選者に、評や唱をつけてもらっている。選者の故実方天声先生に選んでいただいたものの内10句を 紹介させて頂くことにしました。
 

 鮫島信一会員著、薩摩狂句の本「笑ったもんせ」も是非一読!

薩摩狂句  「 」内が兼題です。


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