「平川」という地名を聞けば、県内の方ならすぐに思い浮かぶのが動物園。鹿児島市の南部に位置する平川に動物園がやってきたのは、昭和47(1972)年10月のことです。それまでは、鹿児島市の中心地・鴨池にありました。
前身の鴨池動物園が開園したのは大正5年9月のことで、鹿児島電気軌道鰍ェ鴨池遊園地内に「鴨池動物園」として開設したのが始まりで(現在のダイエー鴨池店の場所)、昭和3年7月に鹿児島市が鴨池遊園地を買収し、電気局所管となっていました。
昭和5年6月以降、ゾウ・アシカ・ワニ・カンガルーなどの動物が本格的に飼育されていたものの、昭和18年10月、軍の命令でライオン2頭、クマ7頭、ワニ4頭、ニシキヘビ2匹など19匹をやむなく殺処分しています。殺処分の理由は戦局悪化に伴い「空襲で逃げ出し暴れると危険である」とのことで、鴨池動物園だけでなく全国の動物園に命令が下りました。
戦後はまた、ゾウやキリンなど様々な動物が飼育されることとなりますが、鴨池周辺は交通網の整備や市街地の拡大に伴い、騒音や排煙などの環境悪化や敷地の狭隘化が問題となり1972年10月、自然豊かな平川の地に移転します。
平川の高台に移転した動物園は、故・近藤典生東京農大教授が基本構想を策定した31.4ヘクタールの「平川動物公園」として生まれ変わり、現在約140種・1,000点の動物が飼育されており、連日多くの入園者で賑わっています。
入り口のゲートを抜けると桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた見事な大借景のアフリカの草原ゾーンが眼前に広がっており、自然地形を取り込んだ展示でキリンやシマウマ・サイ・ダチョウなどが悠々と行き交う姿がご覧いただけます。
◆世界が認めるコアラ飼育の動物園!
さて、この動物園で有名な動物といえば「コアラ」。
木にしっかりしがみついて熟睡している様は、なんとも愛くるしいものです。
昭和50年5月に発足した「コアラを鹿児島に連れてくる会」によって、市民レベルの誘致活動がはじまり、昭和55年9月のオーストラリア政府のコアラ輸出禁止令の解除を受けて、鹿児島市長がオーストラリア大使館にコアラ輸出の要請をします。
その後昭和59年にオーストラリアからオス2頭が、翌年の昭和60年にメス4頭が来園し、園内で56頭ものコアラが生まれ、鹿児島生まれのコアラは全国各地の動物園に寄贈されるだけでなく、アメリカのリバーバンクス動物園にも寄贈されています。園舎も、一時は27頭まで増え日本一のコアラ飼育数を誇っていました。現在はオス2頭・メス6頭が飼育されています。
1日20時間ほど眠っているコアラは、食事をする以外昼間はほぼ同じ姿勢でほとんど動かないため、担当の飼育員も「生きているのか、死んでいるのかもよくわからない時があります」とおっしゃるほど動かないのだそうです。
睡眠時間が長いのは、主食であるユーカリから取れる栄養分が少ないため、1日の活動を維持できるだけのエネルギーを十分に取れないためだといわれています。コアラはエネルギーを必要以上に消耗してしまうと死んでしまうことがあり(消耗病とよばれます)、そのため寝ることでなるべくエネルギーを消耗しないようにしているのだそうです。
コアラ担当の飼育員さんは、園内に植えられた10数種のユーカリの若い枝だけを刈り取り丁寧に洗って新鮮なうちに与えています。コアラはとても繊細で選り好みが激しいため、同じユーカリでもどの種類のどの部位を好んで食すのか、食事をしている様子をよく観察しそれぞれのコアラに合わせて毎日餌の調達をしています。新鮮な新芽が足りない冬場などは、種子島のユーカリ林から新しい枝を送ってもらっているそうです。
◆生まれ変わります!
現在、鹿児島市は平成21年5月から「人に、動物にやさしい動物公園」「南国鹿児島らしい特色ある動物公園」をコンセプトに、総事業費43億円をかけて平成27年まで大規模リニューアル工事を行っています。
全国屈指の温泉湧出県ならではの温泉などを活用した飼育環境の改善をはじめ、立地環境を活かした自然と溶け込む園路、放飼場の整備拡大を行っています。
また、全面ガラスビューを用いることでホワイトタイガーやホッキョクグマなど迫力ある動物たちを間近で見ることができるだけでなく、動物たちを元環境のまま展示するという手法により本来の生態を詳しく知ることができるようになっています。
かつて、平川動物園の基本構想をされた故・近藤典生東京農大教授のことばに
遥かなる 夢の形見に 出会うかな
虹の門より 桜島美ゆ
とあります。動植物との共存・共生を活かした動物園設計を手掛けてきた近藤氏の思いは、新しく生まれ変わる動物園にも変わらず受け継がれています。