薩摩半島の南端中央部に位置する知覧は、苔むす石垣とイヌマキの生垣が続く武家屋敷群、また本土最南端に位置するかつての特攻基地があったことで知られています。
知覧の語源は、古く万葉仮名に「遅羅美」とあり、「遅」は土地のチで肥沃な北部の土地、「羅」は原のラで中部の広大な台地、「美」は海のミで南部にある海を表しているといわれています。
知覧町は、北部の山地より南にかけてゆるく傾斜しており、温暖で豊かな土地柄を利用しての知覧茶の栽培が盛んなことはよく知られています。また、阿多溶結凝灰岩が露出してできている南部の海岸線は屈曲に富んで荒々しい景観を呈しています。
さて、武家屋敷通りに足を踏み入れると、江戸時代にタイムスリップしたかのようなたたずまいが目に飛び込んできます。
藩政時代、半農半士である郷士が居住していた麓集落は、一帯を庭園化した美しい町並みから「薩摩の小京都」と呼ばれ、昭和56年(1981)「国の重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、そのうちの7つの庭園は国の名勝に指定されています。
通りからは門から内部をうかがうことができないよう、入り口から屋敷までL字形になっているのも武家屋敷の特徴のひとつです。
中に入ると、遠くに望む「母ヶ岳」を中心とした山並みを取り入れた借景の枯山水庭園の造りが主で、奇岩怪石を積み重ね深山幽谷の風景を模した庭園や、ツバキやイヌマキ、サツキなどの大刈り込みで築山風にしている庭園もあります。
知覧城主の居城であった亀甲城の西側麓にある森重堅庭園は、代々格式の高い家柄で領主も度々訪れていたお屋敷でした。武家屋敷群唯一の築山泉水庭園で、曲線に富んだ池には近景の風景や雲の上の遠山を、巨岩怪石を用いて表しています。
また、700メートル続く武家屋敷通りは、敵の侵入を防ぐために遠くを見渡せないよう曲がっており、両側は石垣でその上にはきれいに刈り込まれたイヌマキの生垣があります。この通りは、昭和61年(1986)には、建設省(現:国交省)から「日本の道百選」に選ばれています。
これから初夏にかけて、庭園から遠くに望む山並みの新緑や、生垣の刈り込みの新緑が美しいシーズンとなります。
皆さまもぜひ、ひとときのタイムスリップを兼ねて、薩摩の小京都・知覧へお出かけされてみてください。