薩摩の小京都と呼ばれる知覧は、武家屋敷沿いに流れる清流に鯉が群れ泳ぎ、いつ訪ねてもしっとりとした雰囲気が漂っています。
そんな知覧の町から川辺方面へ少し行ったところに、豊玉姫神社という御社があります。
豊玉姫神社は、豊玉姫・ヒコホホデミノ命・豊玉彦命・玉依姫をご祭神とし、知覧城の出城である「亀甲城」の麓に造られていましたが、慶長15年(1610)より約1.5km西の現在地に遷座しています。
開聞神大綿津見神の娘であった豊玉姫と玉依姫は、それぞれ領地を治めることとなり、姉の豊玉姫には川辺を、妹の玉依姫には知覧を与えられ、二人の神は連れ立って衣の都(今の頴娃・川辺の辺)をお立ちになりました。
途中、一泊した折に、賢い玉依姫は川辺が田畑に富み米の豊かな地であることを知り、姉の豊玉姫よりも早く出発なされ、川辺の地に赴きます。姉の豊玉姫はやむなく知覧に赴き、上都の城山の下に宮居を定めます。
玉依姫が川辺と取り違えることにした場所を「取違」というようになり、今でもその地名は残されています。
さて、この豊玉姫神社では毎年7月9日〜10日に、江戸時代に始まったとされる国の無形民俗文化財「薩摩の水からくり」の上演が行われています。
全国でも鹿児島県薩摩半島南部の万之瀬川流域にのみ伝わる民俗芸能で、水車を動力として動く人形が繰り広げる芝居は、豊玉姫神社の六月灯にのみ上演され、毎年異なる演目で上演される知覧地域の“夏の風物詩”となっています。
今年度の演目は、「桃太郎と鬼ケ島」で、キジが鬼たちに向かい飛ぶ様や、桃太郎が刀を力強く振り下ろす様など、一行が鬼退治をする昔話が細やかに再現されています。
水からくりの起源については、明確な記録がないようですが、伝承によりますと明治維新以前から存在し、7月9日の六月灯の際に上演され、武家屋敷では男児の初節句に簡単な手回しのからくりも行われていたそうです。
また、豊玉姫神社前の水路は、安永9年(1780)、山下井堰の築造によって通水されています。一時は戦争の激化に伴い水からくりも姿を消してしまうも、その後昭和54年2月、保存会の結成と町民の援助によって、再び水車が回り始めることとなりました。
毎年演目が変わるため、知覧水車からくり保存会の皆さんにより、演じる人形作りや背景、仕掛けづくりなどの作業を約2か月間にわたり行い7月の初演に備えます。
薩摩半島は「職人の宝庫」といわれ、また「知覧大工」という言葉に代表されるように、手先が器用な知覧の大工の技は卓越しており、そうした優秀な手業をこの水からくりでうかがい知ることができます。
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