周囲を南薩山地の支脈に囲まれた自然豊かな川辺町は、南薩最大の河川、万之瀬川流域に位置しており、湧水・農業・磨崖仏・仏壇の町として知られています。
この地域の地層は、大部分が中生層と呼ばれる砂岩と頁岩の互層で成っており、その上を数万年前に噴出した阿多火砕流や(溶結凝灰岩)入戸火砕流(シラス)が覆い、更にその上に新期の火山灰層が薄く堆積しています。これが数万年かかって侵食され、現在見る地形となっています。
特に、盆地の北東部にある清水(きよみず)はその名の通りシラスの急拷コの湧水であり、清冽な湧水は、昭和60年環境省選定名水百選に選定されています。湧水量は1日6,000トン、町の上水道源にもなっており、約3,800世帯に供給されています。
また、この地は中世に平氏の流れをくむ川辺氏が支配した所で、付近には豪壮な「桜ノ屋形」があったとされています。現在も清水小学校には「楼門石」が残されており、その大きさからかなりの豪華な館であった事を伺い知ることができます。
壇ノ浦の戦いに敗れた平家一門が川辺氏を頼って流れ着き、一族の供養のために刻んだのが清水磨崖仏といわれており、鎌倉時代から明治時代にかけて、高さ20m、幅400mの溶結凝灰岩の岩肌に板碑や五輪塔、梵字、宝篋印塔など200基が刻まれています。
中でも世界最大級と言われる10m30cmの大五輪塔や月輪大梵字などは、我が国では類をみない第一級の磨崖仏群であり、県の文化財の指定も受けています。
この清水磨崖仏や、慶長2年からの約280年にも及ぶ島津藩主による一向宗の禁制など、仏教や信仰にまつわる歴史的経緯が色濃く残る川辺仏壇は、座と本体が一体となった小型の仏壇「ガマ壇」であるのが特徴です。
明治28年にこの地を訪れていた大阪の僧侶・吉田知山は清水磨崖仏群に最後の磨崖仏を彫刻する一方で、曼荼羅の仏画や仏像、ガマ型の小さな仏壇などを川辺村神殿で初めて造ったといわれています。
現在も川辺町を中心に製造されている豪華な彫りと金箔押しが施された金仏壇は、スギ、ヒバ、ホオ若しくはマツ又はこれらと同等の材質を有する材を用いており、木地、宮殿、彫刻、金具、蒔絵、塗装、仕上げという7つの工程のほとんどを手作業で行っています。その緻密な技術から造り上げられる仏壇は、1975年国の伝統的工芸品としての指定を受けています。
毎年7月末に開催される「川辺祇園祭」では、川辺仏壇の技術を生かして作られた御所車や神輿が商売繁盛を祈願しながら商店街を賑やかに練り歩き、夏の夜のひとときに彩りを添えます。今年度は7月28日(日)に開催されますので、皆様もぜひお出かけしてみませんか。
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