牧園町役場から、10分ほど車を走らせた所にある「犬飼の滝」。
天孫降臨の地、霧島山に源を発する天降川水系中津川の中流部にある高さ36メートル、滝幅22メートルのこの滝は、柱状節理に覆われた滝壁を垂直に流れ落ちる直瀑で、三国名勝図絵にも紹介されるほどの名瀑として知られています。
明治維新の立役者、坂本龍馬が寺田屋事件で負った手傷の温泉療養で霧島に滞在した折に、妻のおりょうさんと共にこの地を訪ねています。この時、龍馬は滝の印象を、姉・乙女への手紙に「此所は、もう大隅の国にて和気清麻呂が庵結びし所、陰見の滝其の布は五十間も落ちて、中程には少しでもさわりなし。実、この世の外かと思われ候ほどのめずらしき所なり。」と絶賛し「此所に十日計も止まりあそび、谷川の流にて魚を釣り、短筒を持ち手鳥をうちなど、まことにおもしろかりし」と書き送っています。
また、奈良末期から平安初期の律令官僚・和気清麻呂公が皇位争いをめぐり、僧・道鏡の怒りにふれ、今から1200年以上前の769年にこの地に流罪となり、一年間滞在しています。
配流されていた間和気公は、長雨を止ませるためにと役人や長老が企てた村の美女を生贄に供える「河童祭り」の陋習を止めさせたほか、中津川の開削工事をし、人々や田園を守るために築堤や河川変更の大事業を行っていました。
犬飼の滝から100mほど上がった所には、清廉で慈悲深い和気公をお祀りする和気神社があり、学問の神・建築の神・交通安全の神として御利益があるとされています。
鳥居の前には「忠烈和気公之遺跡」の碑と、和気公がこの地に配流されていた折に、世話をしたとされる「義人稲積翁之碑」が立っています。
明治の頃から昭和初期にかけて活躍した歌人・与謝野鉄幹は、昭和4年7月に霧島を訪れた際に、和気公の事を
罪なくて 清流に遇へる 清麻呂も 霧島にいて 聴きし滝音
と詠んでいます。
毎年4月中旬から5月上旬まで神社前の和気公園で藤まつりが開催され、開花すると高貴な香りを放ち、白やピンク、紫など色鮮やかな美しい藤の花が咲き誇り、辺りの新緑によく映える様は多くの観光客の心を魅了してやみません。
藤の花をめでながら、霧島を訪れたゆかりの人の足跡をたどる旅に、皆さんも出かけてみませんか。
■「霧島をさるく」
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犬飼の滝 |
和気神社 |
※「霧島をさるく」とは「霧島を訪ねる」ということです。