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かごしま歴史街道

玉里町と旧島津氏玉里邸庭園


 鹿児島市の中部、甲突川中流域に位置する玉里町は、昔は「紙屋」とよばれ、藩政時代には豊富な水を利用して紙作りが行われており、製紙業者の居住地域でした。
 “玉里”の名の起こりについては、草牟田校区史に「玉里町の名はもと玉里邸に発したもので、玉里というのは、斉興公の別称玉印によるものである」と記されています。
 つまり、玉里の町名はこの“玉印”から起こったもので、玉印は今でいう「御名御璽」(ぎょめいぎょじ:君子の名前および公印のこと)と同意語になります。
 町名の由縁ともなっている旧島津氏玉里邸庭園は、国の名勝にも指定されている大名庭園で、第27代島津斉興によって造られたものです。
 天保4年(1833)、斉興は宇治瀬神社付近から妙谷寺門前に至る田圃を邸域として、ここに武五本松の別邸を移転することを決め、11 月に着工させ、天保6年(1835)に完成しました。天保8年5月に参勤交代から帰国した斉興は、翌月に玉里邸に入り、側室の於遊羅の方とともに9月までここに滞在していたといわれています。
 明治10年(1877)の西南戦争で邸宅や庭園の一部を焼失したものの、島津久光によって2年後に再建されます。昭和20年(1945)の太平洋戦争の兵火にかかり焼失破損し、建造物として現存しているのが茶室・武家長屋・長屋門です。
 久光再建当時の玉里邸は、北部の愛宕山を背景に、なだらかに甲突川へと下っていく麓に建てられ、現在の鹿児島女子高校グラウンドの南半分を占める部分に、東西に走る廊下を軸に南側に表座敷・客間・居間・側室部屋・北側に女中部屋や玄関や応接間などが並び、客間から正面に上御庭が広がっていたと玉里島津家資料に記されています。建坪は386.5坪、畳数は434.5帖であったそうです。  
■玉里邸庭園の特色
 玉里邸庭園は、武岡一帯を借景にした書院造の「上御庭」と廻遊式庭園の「下御庭」という二つの庭園から成り、江戸時代末期の造園形式で庭園内には南九州独特の趣向や材料が用いられています。このような庭園は県内には他になく、また歴史的に貴重なものであることから、平成19年に7月26日に国の名勝に指定されています。

玉里邸庭園 玉里邸庭園 玉里邸庭園 玉里邸庭園

■キリシタン灯籠キリシタン灯籠
 茶室の横にある灯籠で、竿の下の部分にキリストがかたどられており、竿頭の部分に「天の父」を意味するPT(J)Lの組み合わせ文字が彫られています。島津斉興の養女・勝姫がキリスト教を密かに信仰していたといわれています。

■黒門と国葬道路
 明治20年(1887)12月18日に、島津久光が死去し国葬が行なわれましたが、東京ではなく鹿児島での国葬となったため、黒門と国葬道路が急きょ造られました。
 黒門から国道3号線までの約700mの直線道路が国葬道路で、この道路を経て福昌寺に葬られています。

黒門と国葬道路 黒門と国葬道路



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