武岡の右裾に位置する緑豊かな町・常磐町。
この地に貞享4年(1687)に島津20代藩主綱貴公が別館を枯木迫に建て「常盤御殿」と名づけたので、この地一帯を「常盤谷」と呼ぶようになったことが常盤の地名の由来といわれています。
明治44年(1911)10月1日に西田村の一部であった字「一の迫・二の迫・三の迫・新迫・楠迫・枯木迫・水上平・田平・常盤谷・常盤」の10集落を分離させ、新たに常磐町と改称し、平成23年10月で町名誕生100周年を迎えました。
市道水上坂横井線・常盤町入り口の信号から武岡方向に直進してしばらく行くと、左手に深い緑に覆われた日枝神社の鳥居が見えてきます。
日枝神社は1504年に滋賀県大津市坂本鎮座の日吉大社より現地に分霊し遷座鎮守神として創建されたもので、ご祭神に大山咋神(おおやまぐいのかみ)・大国主命(おおくにぬしのみこと)を併せ祀っています。島津綱貴公の産土神でもあり、代々の藩主が幕府へ参勤交代の折には道中の平安を祈り、神楽を奏してから城下を後にしたといわれています。境内を抱く樹齢350年のクスノキは、昭和50年3月20日に鹿児島市の保存樹の指定を受けており、四方へと枝葉を伸ばし荘厳な雰囲気を与えています。
日枝神社で参勤交代の道中平安祈念後、薩摩街道出水筋最初の宿駅であった『水上の御仮屋』で旅装束に改めた藩主は、難所といわれた『水上坂』(みっかんざか)を越え、伊集院・市来・川内隈之城・阿久根・熊本・小倉を経て江戸へ向かったといわれています。
水上坂の手前、市道両脇に2メートルほどある橋の欄干の名残を見ることができますが、道路の下には太鼓橋という一連アーチの石橋が埋もれています。かつてはこの付近には阿弥陀堂があり、豊かな水が沸き出で街道を行き交う旅人の喉を潤した『阿弥陀の井戸』と呼ばれる井戸がありました。水上坂という名も、坂がある沢一帯が昔は水源地だったことに由来しており、今でも阿弥陀像と水神様がお祀りされています。
阿弥陀像は、廃仏毀釈時の影響か、顔がわからなくなっています。
常盤町の町名誕生100周年記念事業の一環として、町内会は昨年度に史跡看板を一新し、町内外の方々にも史跡散策がしやすいように各所にも案内板が設けられています。
様々な奥深い歴史や文化と、そこに住む人々が共存している常盤のまち。皆様もぜひ一度歴史探訪に出掛けてみられませんか?