国道10号線を姶良方面へ向かう途中、鳥越トンネルをぬけてすぐ右手奥に、洋風の建物が目に入ります。
旧鹿児島紡績所技師館、通称・異人館と呼ばれるこの建物は、我が国における初期の西洋建築物として現在は国の重要文化財の指定を受けています。
また、平成21年には「九州・山口の近代化産業遺産群の構成資産」の一つとして世界文化遺産暫定リストにも登録されており、幕末維新時の産業発展の象徴ともいえる文化遺産でもあります。
蘭癖大名の異名をもつ曽祖父の重豪の影響を受けた斉彬は、海外の文化や情報に精通し、藩主就任後は西欧諸国のように近代化政策を推し進めるべく、ガラス製造や鋳物、造船、紡績、出版など数々の『集成館事業』を展開しました。
斉彬の死後は、島津忠義がその意思を受け継ぎ、就成所と呼ばれる工場群に紡績工場の建設も手がけます。薩摩藩英国留学生であった五代友厚が、留学先のイギリスで紡績機械の買い入れと技師招聘交渉に成功し「ホーム・リンガー商会」の開設者のイー・ホームや工務長のジョン・テットロウなど、鹿児島紡績所の建設と操業のためにイギリスから6名の技師が招かれました。技師らの宿舎として慶応3年(1867)に建てられたのが、この異人館です。
異人館は、シリング・フォードと勝手方用人の松岡政人、作業奉行の折田年秀が建設にあたり、2階にベランダを巡らし壁を漆喰で仕上げ、正面中央部が張り出すイギリス人好みの意匠をもったコロニアル様式になっています。外観は洋風木造建築ですが、屋根構造など柱間寸法は寸尺で設計されており、日本人大工の施工といわれています。
当初、技師派遣は2年契約の予定でしたが、尊王攘夷運動など幕末維新の政情に不安を感じわずか1年で帰国しています。
その後は、明治5年(1872)に明治天皇鹿児島行幸の際にご昼食・休憩所として利用、明治10年(1877)には、西南戦争時の仮病院として薩軍の負傷兵を収容する施設としても利用されていました。
耐震補強、内装工事を終え2011年10月25日にリニューアルオープンした異人館内は有料にて一般公開されており、当時の様式の家具や食器を配置し19世紀後半の技師らの暮らしぶりがわかりやすく再現されています。
幕末創建時より2度の移設と改築を経て現代までの激動の時代を生き抜いてきた異人館は、100年以上の時を微塵も感じさせない圧倒的な存在感溢れる建物です。
磯地区へお越しの際はぜひ、文明開化の幕開けにタイムスリップしたような気分で、ノスタルジックなひとときを体感されてみてください。
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開館時間:
午前8時半〜午後5時半/無休
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入館料:
高校生以上200円・小中学生100円