|
向田邦子の作品にも登場する松林。浜砂も残るその場所は、現在は散歩を楽しんだりする市民の憩いの場所となっている。 |
本格的な夏の到来と共に、県内各地の海水浴場も大勢の海水浴客で賑わいます。鹿児島市内唯一の海水浴場といえば、鹿児島市吉野町にある通称「磯浜」と呼ばれる磯海水浴場ですが、戦後しばらくまでは天保山も波の打ち寄せる白い砂浜で、磯浜を凌ぐほどの憩いの場として賑わっていた場所でした。
昭和10年代、9歳から11歳の多感な時期を鹿児島で過ごした作家・向田邦子も自著「鹿児島感傷旅行」というエッセイの中で、小学校の遠足の折に天保山へ向かう道中、甲突川沿いを歩いたこと、小説「父の詫び状」の中では、海水浴場で思い出に残っているのは、鹿児島の天保山であるとも書いています。
終生、“故郷もどき”と呼んで愛してやまなかった鹿児島の思い出の地・天保山も、その後、昭和47年の太陽国体開催に合わせて、城山後背地の山を削って出たシラスで、水搬工法により塩田跡の与次郎ヶ浜から鴨池の海岸一帯が埋め立てられました。
現在、「坂本龍馬新婚の旅碑」脇を流れる荒田川の石積みの堤防がかつての天保山海岸の防波堤で、寺田屋で襲撃され負傷した龍馬が小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通らに引き連れられて、お龍と上陸したのもこの界隈といわれています。
また、共月亭から天保山公園界隈に今なお延々と立ち並ぶ松林が、天保山の風景の一端を担っており、海水浴場の名残として知ることができ、真夏でも静謐な空気がゆっくりと流れています。
渚に代わり住宅地になった今日でも、街中で涼を求めるには静かで心地良く、普通の毎日の中にも癒しのひと時を求める市民の憩いの場所となっています。