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海江田嗣人の創作童話集 第9回 


文:海江田嗣人 絵:海江田鉄郎

お父さんの昔話

 むかしあるところに三人の兄弟がおりました
 長男のけんじが小学5年生、次男のてつろうは3年生、そして三男のこうじが1年生です。
 三人が寄ると、まるで運動会みたいに家の中を走り、部屋中をゴタゴタに散らかしてしまいます。お母さんは、まるで戦場みたいだねっ、と言います。
 「けんじ、てつろう、こうじっ、かたづけなさい」と、叱ります。
 それでもお父さんお母さんにとっては可愛い子ども達です。
 いつもは優しい両親です。
 あ、それから白黒まだらの猫マルちゃんも家族の一員です。
 マルは捨て猫、それを拾った友達が家に持ち帰れず困っていたのを、てつろうがお母さんに叱られる事を覚悟で引き取った猫です。
 お母さんは朝一番に起きると、子ども達の弁当を作ります。
 台所に行き、ガラガラーと窓を開けると朝日が部屋の奥まで照らします。
 ヤカンの湯気がシューッと上がる音、スズメがチュッチュッとはしゃぐ声、
 お母さんだけが聞ける朝の協奏曲が始まります。
 お母さんはにっこりです。
 おなべの味噌汁がフワフワッとだぎってパッパッとはじける泡の湯気からお味噌汁のにおいが台所いっぱいに広がり、やがてとなりの部屋までおいしい香りが伝わると、誰よりも最初に駆けつけるのは捨て猫のマル、続いてドタドタドタと床を鳴らし三兄弟が集まります。
 けんじ、てつろうが元気良く、「おはようございます」と挨拶します。
 オネショをしたこうじだけはうつむきながら「お、ぉはようございます」と、元気がなさそうです。
 お母さんは事情が判っていますから、「おはよう」と、にっこり。
 止せばいいのにけんじとてつろうがクンクンと鼻を持ち上げて茶化します。
 「早く着替えておいで」と、お父さんが兄弟を叱ります。
 朝ごはんを食べると兄弟は「行ってきまーす」と学校へ向かいます。
 子ども達を送り出したお母さんは一安心。やっとゆっくり出来るので、お父さんとお茶を飲みます。「お父さん、今日もお天気が良いわよ ほら 暖かいでしょう」。「朝日だね 暖かいね」。「そうよ、でも風がありそう 雲が早く流れるわ」。スズメ達の協奏曲もいつしか静かになりました。
 目の不自由なお父さんは近くの診療所でマッサージ師として勤務、仕事に出かけるとお母さんは少し淋しくなります。
 けれども、お母さんは家事が沢山あるので忙しくなります。お母さんはエプロンを外すと洗濯をしたり掃除をしたり休むひまもありません。
 一日中働いたお母さんがお茶で一服休むころには、お部屋いっぱいを照らしたお日様も少し西の雲間にかすんでいます。
 「ただいまー」と、こうじが学校から帰ってきました。「まあ お帰り」と、お母さんはやさしく迎えます。
 続いてけんじが帰ってきました、「お帰り、けんじ」。
 しばらくして、てつろうが野球の部活から帰ってきました。
 「お帰り、てっちゃん」。お母さんは兄弟三人が帰ってくると安心します。
 そしてお母さんは、そろった三人の顔を見ると「けん てつ こう お帰りなさい」と優しい笑顔で迎え、ニッコリします。
 西の空は、夕焼け小焼けを歌いたくなるようなピンク色の空です。
 やがてコツコツコツと靴音に伴奏して聞こえるステッキの音に、寝ていたマルが飛び起きて窓際に行き、首を長くして外を覗きます。

 「あっ お父さんだ」。こうじとマルが玄関で出迎えます。
 「ただいまー」と、お父さんの元気な声が家中に響きます。
 こうじがお父さんの手を取り一緒に部屋に入ると、二人を追い越したマルがお部屋で待っています。
 お母さんが夕ごはんの仕度を始めると、おいしい匂いに誘われてマルがニャーニャーとお母さんの足にまつわりつきます。続いて食卓に家族が集まると、夕ごはんを食べながら今日あった出来事で話が弾みます。
 せわしく鳴いていたツクツクボウシが鳴きやみ、夕焼けの空が沈むころ南の空にサソリ座が浮かんでいます。
 「けん てつ こう」と、お父さんが大きな声で呼びます。
 ハーイと合唱の返事が返ると、もうそこには、けんじ、てつろう、こうじがニコニコしながら座っています。
 お父さんは食卓に集まった兄弟に身振り手振りで話し始めます。
 「むかしむかし あるところにおじいさんとおばあさんがすんでいました」。
 そうです、お父さんの昔話が日課なのです。
 兄弟は胸をドキドキしながらお父さんの昔話を聞いています。
 「おわり」 と、お父さんの昔話が終わると兄弟はもう一回、と催促します。
 「もう一回か〜」、お父さんは又話し始めます。
 「むかしむかし あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました」
 兄弟は「うんわかった」、それからそれからと目を輝かせます。
 お父さんが話を続けます「そしておじいさんは」と話すと、てつろうが「山に行ったんでしょう?」と、先回りします。
 「うんにゃ おじいさんは川に行きました」と、お父さんは話を変えます。
 「ワー、山でしょう 山でしょう」と、三人はお父さんの腕をつかみます。
 お父さんはそれでも話しを続けると、「あー〜面白かった」と、兄弟は喜ぶのでした。が、又もや兄弟は「お父さん お父さん、もう一回」と、お父さんの昔話をせがみます。お父さんは困りました。
 よし、今度までだよ、と言いながら「むかし る、ところにおじいさんとおばあさんがすんでいました。おわり」と、お父さんはとても話を飛ばしました。
 「わーおもしろい、おもしろい」と、兄弟はもう一度話してとせがみます。
 終わりのない要求に、お父さんは考えました。
 そして、「むかし、る、ところに、が、おりました。おわり」と、更に話を短くしました。すると兄弟は、「あ〜面白かった、明日もしてね」と、喜んで寝床につくのでした。
 翌日の夜です。いつものようにお父さんの昔話が始まりました。
 「むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました」。
 もう一回もう一回と楽しそうに催促する兄弟に、ニッコリするとお父さんは表情豊かに三度目の昔話を始めます。
 「 る ところに が おりました。おわり」と。
 たった5秒で話し終わりました。すると兄弟は大喜びです。
 お父さんはほっと一息、いつの間にかお母さんも聞いていました。
 「パチパチパチ」と手をたたきニッコリします。
 お父さんが手探りで食卓のお茶を飲もうとすると、「お父さん明日もしてね」と、こうじが食卓にある湯飲み茶碗をつかみ、お父さんに優しく手渡すのです。「おとうさん お茶、ここだよ」「熱いから気をつけてね」と、自分の手を添えてお父さんの右手に渡すのでした。
 玄関で白いステッキが光っています。

(おわり)

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