鹿児島西ロータリークラブ  

鹿児島の歩き方


趣味の
「ロータリー倶楽部」


事務局


鹿児島市金生町3番1号
山形屋内
TEL(099-223-5902)
FAX(099-223-7507)

海江田嗣人の創作童話集 第7回 


文・写真 海江田嗣人会員

歌姫に恋して

 私は、ある地方都市の中学校で事務職員をしています。30歳代の半ばを過ぎましたが、妻もいないし、付き合っている恋人もいません。
 顔が長めで少し青白いせいか、私にはキュウリ男と言う有り難くないあだ名が付いています。仕事は真面目にやっていますし、それなりに同僚から信頼されてもいますが、どちらかといえば人付き合いが苦手です。特に、女性だと気おくれがして、仮にこちらが思いを寄せても、それを告白する勇気はとてもありませんでした。田舎のお袋からは「早く孫の顔を見たい」「嫁さんを貰って安心させて」と、せかされていますが、お袋の夢をかなえてやれそうにはありません。楽しみといえば、私が夜座(よざ)サロンと呼んでいる一軒家の自宅の窓辺から、夜空を眺め、星座を散歩したり、クラッシック音楽を聴いたり、時たまコンサートに出かけるぐらいです。
 私が自宅にほど近い町の文化ホールの掲示板でコンサートのポスターを見かけたのは、夏休み前の日曜日の夕方でした。涼しげな目元に愛らしい頬笑みが印象的な女性の写真の横には「郷土が生んだオペラ界の新星 初めての里帰り公演」という説明文がありました。その場で前売り券を買い入場したのです。
 前列の自由席に深々と座りましたが、何だか変な胸騒ぎを覚え全身にみなぎってくる気分の高まりを感じていました。
 やがて開演のベルが鳴り、幕がスルスルと上がります。舞台の中央に純白のドレスを着た歌姫がフットライトの輪の中に浮かび上がってきます。左の胸には真っ赤なバラが一輪。涼しげな目元、愛らしい頬笑み。あのポスターの歌姫が舞台の上にいるのです。細身で、しかもしなやかな体を少し反らすようにして歌い始めます。聴く人の心に沁みわたるようなアルトの歌声が会場に響き渡ります。その声を聞いた途端、私の全身に電流の様なものが走り、締め付けられていた心の箍(たが)がぷっつりと外れたように思いました。喜びや悲しみ、そしてやるせない思いへと曲想によって変わる歌姫の表情を食い入るように見入っていました。私は歌姫に恋している自分を自覚するのです。もう私を引き止めるものは何もありません。弱気な「キュウリ男」とは決別したのです。
 そして私は歌姫と二人だけの世界に入り込んでいました。歌姫は歌いながら私に時々、視線を投げます。にっこりと微笑を送ると、歌姫は「あなたのこと おぼえているわ」「今 あなたをさがしていたのよ〜 」と、歌で返してきます。私も口をパクパクさせる「口読み」で歌い返します。「さあ、ついておいで 窓辺の夜座サロンにどうぞ」。
 情熱的な恋の歌に変わります。歌姫の視線がこちらに向いた時、私は意を決して「口読み」で告白します。「 すてきな あなた 」「 あなたがすきです 」。歌姫は哀愁の視線を私に定め「なつかしい あなた」と、歌い、私は「君こそ変わらぬ美しさ 」 と、答えます。そして彼女はしなやかに両手を広げると歌い問いかけるのです。「 いとしのあなたは一人なの? 」 と。私は「あなたを待って 今でも一人だよ やっと逢えたね」「 私はあの星空から降りてきました 」「美しいあなたの歌声に誘われて」と歌い返し、「さあ こちらにおいで 」「窓辺の夜座サロンに」と、続けます。ふと我に返ったように、歌姫は突然私から視線を外してツンと上を向き、会場の客席へと振り向くのです。私は一瞬不安になり胸騒ぎがします。歌曲はクライマックス、ホルンとバイオリンが高々と奏でます。強くフォルテと絶頂へ。
 ジャン、ジャジャーン♪、一瞬の休止符、そして入れ替わる歌姫の歌。
 歌姫は天を見つめ、両手を広げて、まるで絶叫するような声で歌った次の瞬間、
 突然、私を振り向くとその美声を稲妻のように高くして、「 すきです 」「私の愛するあなた」と、歌うのです。ついに、歌姫への私の恋は成就したのだ。余りの喜びに気は動転し、しばし、自分を失っていたかもしれません。

 自宅までどうして帰ったか、覚えていません。私は窓際の夜座サロンで、歌姫を想い、コンサートの余韻にひたりながら夜空をぼんやり眺めていると、誰かがコツコツと玄関をノックします。こんな夜更けに誰だろうと、急いで玄関を開けると、歌姫が「こんばんは」と、入ってきました。歌姫は羽織っていたコートを脱ぐと白いドレスに赤いバラを付けた舞台衣装のままです。
 歌姫は「あなたの住まいは分かっていました。高校時代、前の道が私の通学路で、あなたをよく見かけていましたから」「おわかりでしょうか?私のこと」と、少し恥ずかしそうな表情で語り始めました。「私は 優しくて真面目そうなあなたを、素敵なお兄さんだな、と見ていました。慕う気持ちがあって、一度、話してみたい、と思っていました。それができないまま、卒業しました」「それが今夜、舞台の上から、私に語りかけてくる客席のあなたを見つけたのです。私を想って下さる、あなたの気持がよくわかりました。本当にうれしかったのです。だから,一夜でもいいからあなたの側にいたいと思い、こうして訪ねてきたのです」。歌姫が自宅の前で出会っていた高校生だったこと、しかも私を慕っていてくれたことを初めて知ったのです。私はうれしくなり彼女を星空の窓辺に案内します。
「さあ 星空のきれいな夜座サロンにどうぞ」。

 涼しげな歌姫の目元が星の明かりにキラリと浮かびました。裸電球の淡い逆光に映えて、歌姫のしなやかな肢体は幾重にも重なり、私に両手を差し伸べてくるのです。私は迷わず歌姫の手を取り引き寄せると、彼女は恥ずかしそうに顔を近づけてきます。「好きだよ」と彼女の肩を静かに抱き寄せると、二人の口元は甘く香り、やがて静かに合わせ重ねるのです。
 それはすばらしい一夜でした。甘い香りが部屋中に満ち、歌姫の話す声はまるでアルトの歌声のように響き、私の心を和ませてくれます。時に、手を取り合い、体を寄せ合って音楽のことや星のことなど語り合いました。私はこのまま時が止まってくれれば、と願わずにはいられませんでした。
 しかし、窓辺の夜座サロンからは星が消え去り、空が少しづつ明るさを増してきます。
 歌姫は窓の外に目をやりながら、「もう帰らないといけません」と告げます。そして、胸の赤バラを外し、私に手渡すと、「今夜のことは生涯忘れません。せめての思い出にこのバラを置いていきます」と、言い残し、未練を断ち切るようにさっと去って行きました。
 茫然としている私の耳に突然、大太鼓のドーンという大音響とシンバルのジャーンという音が響いてきました。私は思わず、「アーッ君は何処だ、君は何処だ」「もう一度、会いたいよ」と絶叫していました。コンサートはついにフィナーレを迎え、最後の指揮棒が降ろされたのです。

「もしもし、もしもし大丈夫ですか」。誰かが私の肩を叩いています。振り向くと、文化ホールの警備員でした。もちろん、コンサート会場に残っているのは私だけです。コンサートの終盤、2,3分間、うとうととして夢を見ていたようだ。私は「歌姫との逢瀬も夢だったのか」と、がっくりと落ち込んだ気持ちになり、足取りも重く自宅に帰りました。
 そして夜座サロンの窓辺に行くと、そこに何と赤いバラが落ちているではありませんか。まぎれもなく夢の中で歌姫が私に渡した、あの赤いバラが。

(おわり)

/ 鹿児島西ロータリークラブ / ロータリーの歴史 / ロータリークラブ関連 / リンク /
/ 鹿児島の歩き方 / 趣味の「ロータリー倶楽部」/
/ トピックス / バックナンバー / WEB卓話 /
/ サイトマップ / このサイトの利用について / お問い合わせ /

All Rights Reserved, the Rotary Club of Kagoshima West