鹿児島西ロータリークラブ  

鹿児島の歩き方


趣味の
「ロータリー倶楽部」


事務局


鹿児島市金生町3番1号
山形屋内
TEL(099-223-5902)
FAX(099-223-7507)

海江田嗣人の創作童話集 第4回 


文・写真 海江田嗣人会員

捨て猫「ホニャ」

 私はメス猫のホニャよ。
 生まれて間もない私は気が付いた時には、村はずれの藪の中にいたの。寒くて、恐ろしくて一晩中、ミャーミャーと泣いていたわ。どんな事情があったかしらないけれど、私を捨てた飼い主や人間の身勝手さを心の底から恨んだわ。
 翌日のお昼ごろになって、私のか細い泣き声に気付いたのでしょう,2人の男の子が藪の中に入ってきたの。これが鉄郎君と幸史君との出会いでした。兄の鉄郎君は私の首根っこを掴むとひょいと持ち上げ、ジャンパーのポケットに入れ、村の方に歩き始めました。
 家に帰り着くと、鉄郎君は早速、「ねぇ、ねぇ、家で飼っていいでしょう」と、台所にいる女の人に頼んでいます。お母さんのようです。返事がありません。鉄郎君は「ねぇ、いいでしょう」と、食い下がります。しばらくして、お母さんはブルブルと小刻みに揺れる鉄郎君のポケットを見て、「鉄郎っ、出しなさい」といいます。鉄郎君は恐る恐る、「ほら、可愛いでしょう」といいながら、私をポケットから取り出します。
 正直いって、私は恥ずかしかったわ。黒っぽい毛並みはぐじゃぐじゃだし、目ヤニで目もつぶれ、体はがりがりに痩せこけて、とても可愛いどころじゃなかったもの。
 しかし、お母さんは「寒かったでしょうね。牛乳を温めて飲ましてあげなさい」といってくれました。ほっとしたのもつかの間、こういうのです。「明日になったら、元の場所に返してくるのよ」。ああ〜、人間って何て薄情なんだろうと、絶望的な気持ちになりましたよ。
 まず、鉄郎君が思い詰めたような口調で、「わ〜、お母さん、飼っていいでしょう。お願いします」と、訴えます。側で、弟の幸史君が唇をへの字にして、うぇ〜んと泣き始めます。後で分かったことですが、お母さんは幸史君の泣き顔に弱かったのです。お母さんは困った表情をしながら「仕方ないわね。あんたたち、ちゃんと責任もって猫の世話、できるわね」と、折れてくれたのです。鉄郎君と幸史君は「わかった、わかった」と、声をはずませ、嬉しそうに顔を見合わせていましたが、もちろん、一番ほっと胸をなでおろしたのは私です。

 翌日から、いつもは朝寝坊の兄弟はお母さんより早く起き出し、ダンボール箱の私の寝どこの側に来て、世話を始めます。そこへ、優しげな目をした男の人がやってきます。この家のお父さんでした。「お前たち、本当に世話できるのかね」と、念を押しながら、私の頭をそっとなでます。私が不安そうに見上げていると、お父さんは「ところで、この猫の名前を付けたのか」と、兄弟に聞いてきます。鉄郎君が少し甘えた声で「お父さん、お願い。名前を付けてよ」と、頼んでいます。お父さんは腕組みをして思案を始めますが、良い名前が浮かばないようです。そこへお母さんもやってきて、「名前ね。そう、マンガに出てくる、何とかという名前があるでしょう。え〜とね、そうだ、ポニャラよ」と、思い出します。お父さんは「面倒くさそうな名前だな」と、首をかしげます。すかさずお母さんが宣言します。「それなら、ホニャでいいでしょう」。私の名前が決まった瞬間でした。
 私は最初、ホニャも変な名前だと思いましたよ。隣の猫はミケだし、向いの猫はヤスだし、そんな分かりやすい名前がいいのに、と思ったもんでしたが、不思議なもんですね、ホニャ、ホニャと呼ばれるうちにだんだん愛着が湧いてきたの。今では、お母さんに感謝しているわ。

 一家の朝はいつもあわただしく始まるの。まず、中学生の鉄郎君と小学生の幸史君が元気よく家を飛び出します。続いて、お母さんが家を出ます。病気の人の世話をする看護婦という仕事だそうだけど、毎日朝早くから家の仕事をして、それから病院で働き、夜遅くに帰ってきます。大変だろうなと思うけれど、一度も愚痴らしいこと、聞いたことないわ。
 お父さんは自宅で日用品のお店をしてます。ほかに、海の浜辺を守る運動にも取り組んでいるのよ。守らなければならないほど、人間は浜辺を壊したり、汚したりしているということよね。時に私も家からそう遠くない海岸に出かけるけど、コンクリートに固められ、それこそ猫の額ほどの砂浜はゴミだらけだもの。お父さんたちは、大事な運動をやっているんだな、と誇らしく思うのよ。

 それから何年かが過ぎて悲しい別れが来たの。鉄郎君が大学進学で家を出ることになったの。出発の朝、鉄郎君は「ホニャ、元気でいるんだぞ」と、私を抱きしめてくれました。数年後には幸史君も進学で家を出ることになりました。泣きべその幸史君も立派な若者になっていました。「夏休みには帰ってくるからな」と、お別れの抱っこをしてくれました。
 こうして、お父さんと二人きりの時間がますます増えました。お父さんはそれはそれは、私を大事にしてくれたわ。食事の世話はもちろん、少し暇ができると、私を抱っこして、時にはねんねんころりと子守唄まで口ずさんで、あやしてくれるの。遊び相手もいっぱいしてくれたわ。横になって休んでいるお父さんの足に猫パンチを一発、跳りを入れて逃げる私を、お父さんは「こらっ、待て」と、追っかけてくるの。大騒ぎになって、部屋の中はおもちゃや新聞などが散乱し、帰宅したお母さんに怒られたりしたわ。息子たちが巣立ってお父さんもさびかったのかな。私はきっと子どもみたいなものだったかも知れないわね。

 その頃、私は年頃になったせいもあって、よく夜遊びに出かけたの。心配したお父さんは「ホニャ、ホニャ」と、探しに来ました。あれは冬の雨の夜でした。突然、体がだるくなり、まともに歩くことができません。近くのビルの階段でしばらく休むことにしました。深夜、やはり「ホニャ、ホニャ」というお父さんの声が聞こえてきました。私も思わず「ニャーン、ニャーン」と泣いてしまいました。階段を上がってきたお父さんは、私の異変に気付いたようでした。すぐに、動物病院に連れて行きました。肺炎、それもかなりすすんだ病状だったようです。
 翌日、病院を休んだお母さんも駆けつけてくれました。お母さんはお父さんに「息子たちにも知らせておいた方がよさそうね」と、いっています。それを聞いて、私もこのまま死ぬのかな、と覚悟しました。
 それでも、お父さんは私の体をさすりながら「ホニャ、大丈夫だからね」と、励ましてくれます。
 私は、この家に拾われて幸せでした。そう思うと、大好きな鉄郎君と貴史君にたまらなく会いたくなったわ。それまでは何としても生き延びよう、と頑張っているの。

(おわり)

/ 鹿児島西ロータリークラブ / ロータリーの歴史 / ロータリークラブ関連 / リンク /
/ 鹿児島の歩き方 / 趣味の「ロータリー倶楽部」/
/ トピックス / バックナンバー / WEB卓話 /
/ サイトマップ / このサイトの利用について / お問い合わせ /

All Rights Reserved, the Rotary Club of Kagoshima West