鹿児島の歩き方
趣味の 「ロータリー倶楽部」
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青い光
文:海江田嗣人
青い光
繁華街から少し離れた街角に内科病院がある
院長のK医師は、診察室と隣接する自宅に趣味の写真室を設置して、病理学撮影した35ミリフイルムをここで現像している。
外来受付の横にある小さな売店には軟膏、のど飴、それに35ミリフィイルムもありそしてDPEの看板がある、それには何故かPとEにだけ×印がしてある。
それはDeveloping 現像、Print 焼付、Enlarge 引伸ばし、の内、D現像だけを受け付けているからだ。
作った現像液を1回だけ使い廃棄するのはもったいないから35ミリのフィルム現像だけをカメラ店原価以下の格安で奉仕しているのだ。
フィルム現像の、お客さんのほとんどが患者さんや職員の方だけである。
診療終了時間の迫るある日の土曜日、通院している患者の友人に誘われて
アマチュアカメラマンのI子が来院して来た。
「すみません、友人の紹介ですけど、急いで現像できませんでしょうか」と
外来受付に申し出た。すると受付嬢は「ここは診療受付です。あそこの売店に申し込んで下さい」と突き放され、I子は恐縮して「すみません」と一言、急ぎ足で売店に行くと「これ、現像お願いします」。「あ、いいですよ、今、先生は診察室にいらっしゃるからしばらくお待ち下さい」と言われた。
I子は、言われた通りに待ちながらぼんやりとして、診察室に目を向けると、青い光が鮮やかな色で窓越しに漏れてきた。
その光景はまるで星空のように、外からの夕日が混ざり合い、神秘的な感動を受けたのだ。とてもここが病院の中とは思えない程に。
やがてI子はあまりの美しさに引き寄せられて、その窓に近づきガラス越しに中を覗いた。そこには、青く光る照明に包まれたストレッチャーの上に横たわる、それは、それはこの世のものとは思えない程、やせ細った男性の体であった。その顔は肉が削げて目玉がギョロリとむき出し、眉毛が太く黒々と、そして腕は小枝みたいに細く皮膚の皮だけが血管を浮き上がらせていた。恐怖のあまりだんだんと身が竦み、体を震わせえながらI子は目を背けて後ずさりした。
診療が終わり診察室から出てきたK医師が「現像ですね 今、私の現像が完了したので直ぐ現像できますよ」「フィルムの仕上がり乾燥まで60分位かかりますがよろしいですか?」「は、はい、お待ちします、よろしくお願いします」とI子は待合室の椅子に抜けた力で腰掛けた。診療終了まで1時間ほどである。
やがて出来上がったフィルムを受け取ると、病院を出て自宅へと向かった。
翌日、朝早く目覚めたI子は
大きく背伸びすると勢いよく窓のカーテンを開けた。
まだ夜が明け切れない、薄暗く遠い空に一番星が淡くかすんで見えている。
ぼんやりと空を見つめながら、ストレッチヤーに浮きあがる青い光の男性を重ねて幻想していた。
ふと、我に返り朝食の準備にかかるT子。
水道の水が冷たい
4月というのに手がかじかむ冬の冷たさ。
まな板の大根を薄く輪切りに、4分割して
油揚げを半分に切り分けて味噌汁を作った。
味噌汁というより、まるでキツネドンブリの朝食です。I子ならではの手際の良さで早すぎる朝食を食べ、慌てて鏡に対面してI子は一筋の紅を引いた。
いつもより早めにアパートを出て、I子はマイカーで会社へと向かった。
私が一番乗りと思って出勤したI子は、二人の同僚がすでにコーヒーを飲んでいるのに少し驚きながら
あの、仲の良い噂のカップルだ。
片思いだった、ブチヨカニセがそこに居る。少し悔しくて胸騒ぎしたが、気を取り直して「おはよう」と、遠目に挨拶すると社内コーヒーをワンカップ入れて窓際に座った。
ふぅ〜 一息付くと、朝礼までの時間を見計らい、I子は近所のカメラ店へと急いだ。
青い光に魅せられてドキュメンタリー写真を取材したくて、彼女は36枚撮りフィイルムを12枚撮り三本に変更して、現像回数を数多く、せっせと病院へ通うのだ。しかし、あの男性を見かけることがなく数日経ったころ、I子は勇気をだしてK医師に問いかけた「先生!」
「先日レントゲン室で診察されていた男性の方、お元気になられたのでしょうか」と、「さあ、・・・どの患者さんですかね」
「あの太い眉毛の男性の方」「青い光で浮き上がっていた方です」。
「あ、今、経過観察中でしてね」。とK医師は事務的に答えた。
「私、写真を趣味にしているのですが、先日、診察室から青い光が窓から漏れてくる不思議な清潔感のある光景がとても印象に残っていますの」と、お世辞みたいな話し方をした。
「ああ、あの光は殺菌灯です。あまり見つめると紫外線ですから目に毒ですよ」
.I子は、尚もK医師に話しかけた。
「でも、患者さんの情景が美しくストレッチヤーから浮き上がり神秘的でした」
本当は少し怖かったのにI子は頭の中で編集しながら話した。
K医師は「ホホ〜、絵空ごとき表現ですね〜」 幽霊ではないですよと、不満顔で、そして、少し考えながら続けた。
「実はね、あの患者さんに病的な所見が見当たらないのでして」
内科的にも外科的にも悪いところは無くて、しいて言えば精神的な悩みでもあるのでしょうかね。だから体重が増加しなくてこのままでは官能が低下し、基礎代謝が悪くなりかねない。そのようなことを医師でもないI子に話すのであった。そこにはK医師の思惑があり、I子が異性であるから、患者が母性愛を感じて感情代謝を豊かに、回復を期待するおもむきがあるからであった。
I子は持参したフォトフレームA4サイズの写真をK医師に見せながら
「この写真、患者さん元気になりませんでしょうか」と伝えた。
それは彼女の作品で(海の彼方の山稜からの日の出)の写真であった。
同じ写真趣味のあるK医師は「素晴らしい」元気が出るぞと、病室に見舞うことをI子は許されたのだった。
I子は男性の容態が気になりながら看護婦に案内され病室を訪れるとあいにく患者は眠っていた。起こしてはまずいと思いながら看護婦さんに「これお願いします」と、眠っているベッドの横にそっと写真を置いた。
患者さんの心地よさそうな寝息を後に、静かに病室を離れたI子は何処となくうれしそうだった。
それから数日経ってから、I子は愛用のカメラを肩にかけて病室を訪れた。
青い光の男性は少し顔色も良くなり頬がふっくらと回復の兆しが見えていた。彼女は安心しながらも少しけげんな気持ちで、そっと患者の顔を覗いていた。都合よく彼は昼寝中だったので看護婦さんに「今日は撮影に行くので失礼します」と言い残すと急いで病院を出た。
しかしI子は撮影に行くのではなく
本当はアパートの自宅に一直線に帰り着いたのだ。
「いや、違う、そんな訳が無い」2年前に別れた夫である訳が無い。夫は外国に居る筈、あまりにも勝手に成田空港からバイクレーサーを目指して飛び出したのだ。自分勝手なオートバイ乗りのアンポンタン、だからカメラ趣味の私にケチを付けた夫と別れた。空港では「さようなら」と見送りの言葉をつぶやいたのだ。その後、海外から来た夫の手紙にI子は離縁状を添えて送ったのだ。
考えてみれば話し合う機会も無く、仲直りの機会もなく喧嘩の勢いで家を飛び出したI子は反省するのだ。
その夜I子は悩み、あの日を思い出して、眠れない長い夜であった。
でも、良く考えるとあまりにも夫とは似ても似つかない姿、それにせっかちな私の癖がもたらす事だと妙に納得しながら、もしかしたらを否定しもしながら。
今日こそはカメラに収めなくてはと、ドキュメンタリー写真の取材だと、自分に言い聞かせるように決心して、I子はF3のカメラを片手に病院を訪れていた。期待と否定を絡ましながらさ迷える心のI子は、寝不足で疲れた弱弱しい足取りで青い光の男性の病室に入ると今回も眠っているではないか、いつもタイミングが悪い。
でも、その顔色が以前と比べて、とても良い状態だ。
買ってきた二個のケーキを力なくテーブルに置くと
彼が目を覚ますのを待つことにして、用意された椅子にかけて、寝不足のI子もうつらうつらと居眠りを始めた。それから、いくらかの時間が経ったころ青い光の男性の手が、その指がそろりそろりと、歩伏前進しながらI子の手にそっと触れた。びっくりしたI子は
「ギャーッ」と、椅子から飛び上がった。
ただならぬ叫び声に看護婦と婦長が病室に駆け込んで来た。
「ど、どうされたのですか」看護婦が尋ねた。
I子は少し照れながら「いや、何でもないのです、私、夢を見たみたい、うたた寝してしまったのです」そう言いながら、その場をつくろった。
その時です、青い光の男性は「I子」とつぶやいた。
彼の目はいっぱいの涙で潤んでいた。
そして「ニコンF3だね」と一言。やはりそうだったのか、別れた夫であると確信するとI子は小さなか細い声で「あなた、ごめんなさい」と
夫の手をしっかりと握り彼女の頬に貼り付けた。
婦長と看護婦はただポカーンと立ち尽くすのみ。
青い光の男性は妻のI子であることを看護婦とI子の会話から判っていたのでした。そしてタヌキ寝入りを決め込んでいるのでした。
I子がいない世界ではケンカ相手も無く食欲も無く、寂しくて心労で、異国の空のもとで、すっかり痩せこけてしまい帰国していたのだ。夫が「ニコンのF3だね」と判るほどカメラを理解していたのがI子にはとてもうれしかった。
鹿児島西ロータリークラブ会員 海江田嗣人 2020年5月14日編集
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