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海江田嗣人の創作童話集 第1回 


文・写真 海江田嗣人会員

山の三本桜

 むかしむかし、とても大きな桜の木がありました。その木は小高い山の頂上付近にありました。風の強い時も真夏の暑い日照りにもめげずに、一日中、立ち尽くし、アオバトやキジバトなどの野鳥が飛んできては、高い枝のうえで休みます。夏には葉っぱの緑の木陰で、人々を涼しく守り、春には桃色の花びらで楽しませ、山の一本桜として親しまれていました。
 
 ところが、ある年明けの寒い日に、三人のきこり達がやってきて桜の木の下で、お弁当を食べ始めました。桜の木は、あーうまそうだな〜、ときこり達を見守っていたら、なにやら恐ろしい会話を始めました。桜の木は、やがてガタガタと震えだしました。
 
 きこり達が言うのです。「そろそろ始めるか、随分大きな木だな」「もったいないな。何百年も生きてきたろうにな」「少しかわいそうだけど、そろそろ切るか」。
 ああっ、何と恐ろしいことを! 桜の木はブルブル、ガタガタと、震えが止まりません。
 
 大きな斧がズドーンと桜の木のお腹に打ち込まれました。「助けて!」と、叫ぶこともできません。桜の木は全身の力が抜けていくのを感じながら、ただ、ただ、じっと耐えるしかありません。
 
 ガーン、ガーン、今度は大きなノコギリがお腹を突き抜け、ギーコ、ギーコと切られ始めました。桜の木はブルブル震える力も無くなり、だんだん気が遠くなって行きました。
 
 やがて、ギリギリ、ギーときしむ音が全身を走ります。そして、山全体にこだまするような悲鳴と共に、大きな桜の木は根元からズドーンと倒れてしまいました。
 
 驚いた鳥たちはバタバタと羽音を残し、飛び去って行きました。そして、小高い山の頂(いただき)は太陽がぎらぎら照りつける原っぱになりました。暑い中を訪れる人々が休む木陰も無くなり、むなしく辺りを見渡すばかりでした。

 それから何年かが経ちました。親子連れでハイキングに来ていた子どもが、芽を出したばかりの小さな木を見つけました。「お母さん、お母さん、可愛い苗木があるよ」「ま〜、よく見つけられたね」。子どもが「学校で今、植物の勉強をしているんだ」と話していると、そこへお父さんがやってきました。そして、その苗木をじーっと見つめながら、お父さんは涙ぐんでいました。お母さんが、どうしたの、と尋ねると、お父さんは小高い山の頂の方を指さしながら言いました。「この木の芽は、あそこにあった桜の木の子どもだよ」。
 
 あの大きな桜の木についたサクランボが、風や鳥たちに運ばれ、何年か経ってやっと芽を出したに違いありません。若芽が輝く一本の苗木を手にしたお父さんは「さあ、あの山の頂付近に移してあげよう」と、お母さんと子供たちに呼びかけました。そして、大木の桜があった場所に来ると、お父さんは「さあ、ここがお前の古里だよ」と、涙声で語りかけ、家族皆んなで持ってきた苗木を植えたのでした。
 作業を終わって、移植された苗木を眺めながら、お昼の弁当を食べていると、誰かがお父さんの肩をとんとんと叩きます。振り返ると、そこには、あの大きな桜の木を切った時のお父さんの仲間だった二人のきこりが立っていました。懐かしい、笑顔いっぱいの二人の手には同じ桜の苗木が握られていました。こうして三本の桜の若木が古里に帰ってきたのでした。
 
 三人のきこり達に見守られながら、三本の苗木はすくすくと育ちました。やがて大きな木に成長した桜は毎年、春になると見事な花を咲かせ、鳥たちのさえずりでにぎやかになりました。やがて、「山の三本桜」と呼ばれるようになり、いつまでも人々から親しまれたということです。

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