ロータリアンの暖かい支援に感謝
鶴岡への旅、留学の良き思い出に
―米山奨学生 パン・イ・トウェーさんが寄稿
“今年、2009年も半分が過ぎて、暑い日々が続いていますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
私も日本に来て今年で3年目となりました。来日当時のことは、つい昨日のことのように思い出します。ミャンマーから日本まで直行便がないため、途中乗り換えたりして、到着までに長い時間かかりました。成田空港に降り立った時、「なんと寒いんだろう」というのが日本に対しての初めての印象でした。12月下旬のことでした。
機会があれば、私の母国、ミャンマーへ皆さんを、ご案内させていただきたいと思いますが、ミャンマーは日本と比べ、1年中暑い国です。だから、成田での日本の冬の初体験は強烈でした。
ミャンマーという国は、皆さんにとってわかりづらいかもしれませんが、1989年までの名称は皆さんに馴染みのある「ビルマ」でした。ミャンマーは東南アジアのインドシナ半島に位置している国です。人口およそ5千万人、面積676、578平方キロメートル、公用語はミャンマー語です。
私はミャンマーのヤンゴン州、シリアム都に生まれ、育ちました。父は銀行員、母は教師でした。私は七人兄弟姉妹の六番目で、優秀な兄弟の中で私が一番出来の良くない子だったように思います。そんな私をここまで育ててくれた両親の苦労を思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。
私は子供の頃から言語学や数学に興味を持ちました。高校卒業後、中国語の独学を始めました。ヤンゴンのパソコン情報大学に入学、大学院を終了し、外国留学を希望しました。留学先として日本を選びました。留学するならヨーロッパよりアジアの方が良いと思ったからです。
それまで日本語を勉強したことなかったので、挨拶の言葉も話せぬまま日本に来ました、今でも日本語をうまく使えるように勉強し続けています。
2008年4月から2009年3月まで米山奨学生として選ばれたのが鹿児島西ロータリークラブとの出会いのきっかけでした。生活費の心配がなく、勉強だけに集中ができて、卒業し、進学することができました。皆さんには親代わりとして暖かいご支援やパワーを頂いて大変感謝しております。これからも我が娘のように思い、親身のご指導いただければ嬉しく思います。
鹿児島西ロータリークラブの例会で卓話のチャンスをいただいたこともありました。準備不足と下手な日本語で感謝の気持ちを、うまくお伝えできなかったような気がしますが、皆さんが暖かい笑顔で聞いて下さったので、ほっとしたのを覚えています。
また、クラブ恒例の「渚のつどい」をはじめ、いろんなボランティア活動にも参加させていただきました。2009年4月17日から19日まで山形県の鶴岡ロータリークラブ創立50周年式典にも皆さんと参加させていただきました。久々の、しかも東北地方へは初めての旅行であり、桜がとても綺麗だったので感動しました。皆さんとも沢山お話ができ、大いに勉強にもなりましたし、留学のとても良い思い出になると思います。本当にありがとうございました。これからも声かけてください。
私は現在、鹿児島大学理工学研究科、システム情報科学専攻、博士後期課程1年生として統計学の勉強をしています。卒業後は母国で自分の専門や留学の経験を、私のような興味を持つ子供たちに教えたいと思っています。
米山奨学生として1年間、さまざまな貴重な経験させて頂きました。改めて、お礼を申し上げますとともに、博士課程でも米山奨学生として活動できたら嬉しく思います。
これからも、自分ができることを精一杯頑張りたいと思っていますので宜しくお願いいたします。そして、私もいつか皆さんのようなロータリアンになれますように心から願っております。”
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