鹿児島西ロータリークラブ   KWC
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第2219回例会 池口惠觀会員卓話
―「社会奉仕と日本の伝統精神」


2008.4.16 於:鹿児島西ロータリークラブ第2219回例会

 皆さま、こんにちは。池口惠觀でございます。いつも欠席ばかりしており申し訳ありません。本日は卓話の機会を与えていただきまして、誠に光栄であります。心より感謝申し上げます。
 ロータリークラブは、一九〇五年にシカゴで最初のクラブが設立されたのが最初でありますから、すでに一世紀以上の歴史と伝統を誇って、昨年末現在で、二百以上の国と地域に広がり、クラブ数は約三万三千、会員総数は約百二十一万人に達しているということでございます。
 もちろん私たち鹿児島西ロータリークラブの会員もそこに数えられているわけで、私たちはまさに地球規模の活動をしているわけであります。
 ロータリークラブはそもそも、職業倫理を重んずる実業人、専門職業人の集まりであり、その組織が地球の隅々にまで拡大するにつれて、ロータリーは世界に眼を開いて、地球規模の幅広い奉仕活動を求められるようになり、現在は多方面にわたって多大の社会的貢献をしているわけであります。
 私が、ロータリークラブの活動を見ていて感じますことは、ロータリークラブの奉仕の精神は日本の伝統精神と通底するところがあり、長い目で見た場合、私たちの活動が真の日本再生の「縁の下の力持ち」になるのではないか、という点であります。
 最近の日本の経済社会は、昨年を代表する漢字に「偽り」という字が選ばれたことに象徴されるように、偽物や偽りが横行しています。職業倫理、企業倫理は地に堕ちたという感じも致します。しかし、日本人はもともと、「お天道さまが見ていらっしゃるから、手を抜いた仕事はできない」という職業倫理を、上は大企業のトップから、下は一介の職人さんまで、共有していたのであります。
 それは、経済活動が大きな力を持つようになった江戸時代には、商売の基本理念として定着していたようであります。
 例えば、江戸時代初期に鈴木正三(しょうさん)という禅宗の僧がいました。正三はもともと徳川家康直参の三河武士でしたが、四十歳を過ぎて出家してからも俗名正三を名乗り、天草の乱の後、天草へ赴き、キリシタンを仏教徒に改宗させる活動をするなど、全国を修行して歩いた人です。
 その鈴木正三が士農工商それぞれの立場の人たちに向けて、自分の職分を精一杯尽くすことが仏行であることを説いた『万民徳用(ばんみんとくよう)』という本があります。正三はその中で、すべての職業には「仏性」があり、世の中に有用でない職業はないとしながら、商売で成功する秘訣をこう説いています。
 「商人は利益を出すような商売をしなければならないが、それには秘訣がある。それは正直をモットーとした商売に徹することだ。そうすれば仏陀神明のご加護があり、取引相手もお客もその商人との取引を喜び、商売は繁盛する。そういう正直な商いをやっておれば、その商人は福徳が充満する人となり、日常の生活がそのまま禅定となって、自然に菩提心が成就する」
 いずれにしても、鈴木正三は、仏の道に関連づけて正直をモットーとした商売を説いたのであります。
  鈴木正三とほぼ同時代に、住友家の「家祖(かそ)」と呼ばれる住友政友(まさとも)という人がいます。正友は子孫に遺した訓戒の中で、仏や神を信心する心の大切さに触れながら、「謀りごとをし、人の心をだまして、金儲けをしてはならない。そうしてお金儲けをしても、一時は利潤を得られたように思えたとしても、最後は神仏の罰が当たる。正直な商売は一時的に不利なように見えるが、最後は神仏の憐れみを得て成功するものだ」と言っています。
 この正友の教えは、明治二十四年に制定された「住友家法」に受け継がれ、住友グループは長年、「信用を重んじ、確実を旨とする」商売を守り、「浮利」すなわち「うわついた利益」を追わない堅実経営をモットーとしてきたのであります。
 もう一人、江戸時代の人物を紹介しておきます。江戸時代後半の近江商人、松居遊見(まつい ゆうけん)という人です。近江商人は昔から、裸一貫から行商で身を起こし、質素・勤勉を実践して成功する人が多いと言われますが、遊見はそういう近江商人の三代目として生まれ、行商で生計を立てていました。
遊見は「人は三度の食事と風雨寒暑(ふううかんしよ)をしのぐのに不自由がなければ、事たりる」と言って、ふだんは手織の木綿以外は身につけず、外へ出るときも下駄や雪駄ではなく草鞋で通すという、徹底した質素倹約を実践していました。
 しかし、生活に困った隣人には積極的に支援し、年貢を納められない人がいれば、代わりに納めたりしたと言います。困った人を助けるのは松居家の伝統で、遊見の父は臨終の際、遊見に「村の困った人を救済するために、毎年百両ずつ積み立てよ」という遺言を遺しています。
 なぜそのような社会貢献ができたかと言えば、松居家が代々、暇さえあれば「正信偈(しょうしんげ)」を唱える、熱心な真宗門徒だったことが背景にあります。つまり、遊見の慈悲心は仏教の心に裏打ちされていたわけです。
 遊見の信心深さを伝えるエピソードが残っています。一つは、遊見の家に忍び込もうとした泥棒が、いつも念仏を唱える声が聞こえてきて、遂にあきらめたという話です。もう一つは、泥棒を見つけた遊見が、「どこの人か知らないが、このような悪事を働くには、さぞかし理由があることだろう。しかし、悪事は命を断つ刃(やいば)に等しい。早く正しい道を歩く人になりなさい」と言って、お金を恵んだという話です。
 こうして見て参りますと、江戸時代の商人道、職業倫理が仏教と深く結びついていたことが、よくわかります。仏教には、他人を利することを大切にする「利他の精神」がありますし、「清貧の思想」をモットーとしているような部分もありますから、仏教の心をバックボーンとして持っている日本人にとっては、本来、職業倫理を厳しく求め、社会貢献に精を出すことは、それほど違和感がないのではないかと思うのですが、昨今はそれが大きく崩れているような気がしてなりません。
 外国人で、社会貢献の代表的な人物としてよく挙げられるのが、アメリカの「鉄鋼王」と言われたアンドリュー・カーネギーであります。ロータリークラブが発足した頃には、すでに「鉄鋼王」の地位から退き、莫大な財産をもとに社会貢献に尽力していた人であります。
 カーネギーは経営の第一線から退いた後、私財を投じて、カーネギー工科大学、カーネギー研究所、カーネギー教育振興財団、カーネギー国際平和基金などを相次いで設立する一方、アメリカや故郷のスコットランドの研究機関や教育事業に多額の寄付をしました。カーネギーから図書館を寄贈された市や町は、全米で二千五百カ所以上にのぼったと言われます。
 カーネギーは、「社会貢献は富を持つ者の義務であり、裕福なまま死ぬのは道徳上の最大の罪だ」という信念を持っていました。また、「受けるより与える方が幸せであり、受けるより与える方がやさしい。与える者は、幸せと力強さを感じることができる。与えることは、人間の精神を高める」という考え方の持ち主でした。
 どこか仏教で言う「利他の精神」を彷彿させる考え方であります。こうしてカーネギーは惜しげもなく社会貢献に私財を投じ、「資本家の聖人」と尊敬されるようになったのです。最近では、マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長が、カーネギーを見習って社会貢献に励んでいると言われています。
 「日本のカーネギー」と言われたのが、明治維新の頃から昭和の初めまで、経済界から教育界まで、幅広い分野で活躍し、「日本資本主義の育ての親」と言われた渋沢栄一であります。
 渋沢は昭和六年に九十一歳で亡くなるまでに、第一国立銀行をはじめ、日本興業銀行、朝日生命保険、東京海上火災保険、東京ガス、清水建設、王子製紙、新日本製鐵など五百あまりの企業を興し、東京商工会議所、東京証券取引所などを開設したほか、東京都養育院、結核予防会、盲人福祉協会、聖路加病院、一橋大学、日本女子大学、東京女学館などを創立し、社会福祉・医療・教育事業でも多大の貢献をしています。
 渋沢が偉かったのは、これらの事業に名誉職的な立場で関わるのではなく、すべてに心血を注ぎ、惜しみなく私財を投じたことです。渋沢が晩年、訪米したとき、現地の新聞記者から「あなたは日本のカーネギーだそうですね」と言われたというエピソードが残っています。
 新日鐵会長、日本商工会議所会頭を務め、戦後の財界で大きな力を発揮した故永野重雄さんは、生前、「渋沢さんの本当のすごさは私心のなかったことです。自分の生涯を世のため、人のために使い切ったことです」と語っていたそうです。私は「日本資本主義の育ての親」と言われる渋沢が、仏教で言う「利他の精神」の実践者であった点に、深い共感を覚えるのであります。
 「利他の経営者」渋沢が処世哲学の根幹に据えていたのが、孔子の『論語』でした。渋沢の晩年、昭和三年に、明治から昭和にかけて渋沢が行った講演録をまとめた一冊の本が刊行されています。その本の題名が『論語と算盤』であります。
 その冒頭に「論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの」という一文があります。その中で渋沢は、「国の富を成す根源は仁義道徳であり、正しい道理にかなった富でなければ、その富は完全に永続することはできない。したがって、論語と算盤というかけ離れたものを一致させることが、今日の急務である」と主張しています。
 明治・大正時代にもバブル期のような拝金主義が横行した時期がありました。渋沢は「眼中に、国家もなく社会もなく、事業の前途も考慮せず、ただ現在儲かりさえすればよいというような思案に基づいた泡沫経営は嘆かわしいかぎりである」と、「泡沫経営」という言葉を使って、金儲け一辺倒の経営を批判しています。
 『論語』と算盤、すなわち道徳と経営は一致しなければならないというのが、渋沢の基本的な理念でした。そして渋沢は「余りあるをもって人を救わんとすれば人を救う時なし」という『論語』の言葉を実践し、経済活動で得た莫大な富を社会還元したのであります。
 『論語』といえば、儒教の代表的な経典とも言うべき本であります。古来、日本の知識人が愛読し、江戸時代には寺子屋で、子どもたちが素読をすることによって人格を磨いてきた本であります。儒教は仏教とともに、日本人の精神的なバックボーンを形づくってきたものでありますが、近代の日本経済の基礎をつくった渋沢は、まさに儒教が説く道徳に基づいて、日本経済の進むべき王道を示し、自ら仏教的な利他の精神でもって社会貢献に邁進したのであります。
 江戸時代から明治・大正、そして戦前の昭和時代までは、日本の経済界には渋沢栄一的なリーダーが各地に存在し、日本経済の精神的な舵取りを必死に行っていたのであります。その精神的な遺産があったからこそ、日本は戦後、曲がりなりにも奇跡の復興を遂げ、世界に冠たる経済大国になることもできたのであります。
 しかし、残念ながら、カネとモノに偏重した高度経済成長の中で、日本経済のバックボーンになってきた、日本古来の伝統精神を置き去りにしてきたために、バブル崩壊による「経済敗戦」を経て、政界も経済界も、深刻なモラル・ハザードにさいなまれているのであります。
 私はことあるごとに、日本社会の底流にある伝統精神や道徳を取り戻すことが、真の日本再生につながる、と訴えて参りました。「米百俵の精神」に基づく構造改革によって、景気は若干持ち直しましたが、都市と地方の格差、大企業と中小・零細企業の格差は一段と広がり、日本経済はまだまだトンネルの中にあります。
 しかし、私は決して悲観してはいません。日本社会の底流に流れる清冽な地下水を信じているからであります。私は仏教者の立場から、職業倫理、企業倫理の立て直し、そして社会貢献の大切さを訴えて参るつもりであります。
 お釈迦さまは、人間が生きていく上で布施の心ほど大事なものはないと説かれました。菩薩が涅槃の境地に入るために修めなくてはならない六つの行を「六波羅蜜」といいますが、お釈迦さまはその第一に「布施」を挙げています。「布施の心」は人間が生きていく上での基本であり、経済においても大事な心なのであります。
 仏教で説く「布施」には、お金や物資を与える「財施」、教えを説き智慧を授ける「法施」、怖れを取り除いてやる「無畏施」の三つがあります。要するに、苦しんでいる人や困っている人を手助けしてあげる、物事を知らない人に智慧を授けてあげる、これが布施の本質です。
 お釈迦さまは布施を行の一つだと説いています。それは、人間は布施の心を忘れると、我欲に固まったエゴイストになり、人間として間違った行いをしたり、社会の調和を乱すことになるからです。だからこそ、布施の心は常に持ち続けなければならないのです。これは何も個人に限ったことではありません。国の経済活動にしても、企業の活動にしても、布施の心が求められているのです。国や企業がその心を忘れると、国や企業は乱れ、世界の平和、社会の安寧を危うくすることになりかねません。
 布施の心は日本社会の奥深くに、DNAとして眠っています。私は、そのDNAを眠りからさましてやれば、日本は蘇ると確信しています。
 そういう意味で、職業倫理を大切にし、社会貢献を実践している私たちロータリアンは、日本再生の「縁の下の力持ち」だと考えているのでございます。ロータリアンの活動が、大きな光となって社会を照らし出すよう祈念して、本日のお話を終わらせていただきます。
 ご静聴ありがとうございました。

合掌

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