『憧れのペルー <クスコ―マチュピチュ―リマ>の旅』
小田代 憲一会員(小田代病院理事長)
※ 写真をクリックすると、大きいサイズの画像を閲覧できます。
私の感覚では、地球の裏側に位置する南米。その中で私が訪れてみたいと思い続けていた国、それはペルーだった。
有史以前の遺跡が多く、世界の食べものの主要な原産国。一つの国で海岸から砂漠地帯,渓谷に挟まれた4000−5000m級の山岳地帯、そして東側にはアマゾン・ジャングル地帯と、何でもござれの国だ。しかも、そこには、地球上にある115の異なった生活圏のうち84が存在するという。もちろん、悲劇のインカ帝国を偲ぶ旅であり、そして、何よりも「圧倒的な自然、その中で生きる人々のパワーのすばらしさ」を学ぶ旅となった。
2008年12月28日、関西空港を出発。ロス経由でペルーの首都、リマまで、やはり長いフライトだった。翌日には、クスコに飛ぶ。標高3400mの高地の盆地にあるインカ帝国の首都であり、世界遺産の街だ。
征服者のスペイン人はインカ族が造った町を徹底的に破壊したが、堅固な石組みの基礎部分はそのまま残し、その上に教会をはじめ自分たちの町を造った。だから、現存するインカ文明はまさに、この石組みと言えよう。12角形や14角形の石を組み合わせて造られた土台や壁などは、地震国ペルーにあって、幾多の大地震にも耐え、数百年経た今でもびくともしないのである。
世界にある食物の原産地をたどってみると、その多くがペルー・アンデスである。ジャガイモ、カボチャ、トウモロコシ、トマトなどなど。香辛料も豊富で、葉タバコもアンデスが原産地。きび、綿花、砂糖なども大規模農場で量産され、世界に輸出されている。
トウモロコシは30種類あり、マチュピチュに行く途中で食べたトウモロコシの実は小指の頭ぐらいの大きさがあり、一粒一粒、歯でちぎって食べたほどだ。甘い味でした。
そういえば、以前、北海道・千歳で買った、甘くて美味しいジャガイモは「インカの目覚め」という品種だった。
もちろん、果物も多彩だ。バナナ、オレンジ、パイナップル、ブドウ、スイカ、レモンをはじめ何でもありだ。ペルー独特の果物、ルクマはクリとサツマイモとカボチャを合わせたような、珍しい味でした。
水産、畜産大国でもあります。魚介類、肉類も豊富で、多種、多量です。世界の料理人たちは「ペルーが一番」と言うそうですが、これだけ食材が豊富だと、そうだろうなと思ってしまいます。
ガイドさんに「ペルーに来たら、これだけは食べて帰って」と、薦められたセビッチェという料理も食してみました。鮮魚の切り身にレモン汁、トウガラシ,ピメント、玉ネギ、レタスを混ぜ合わせたもので、確かに、酸っぱさがあり、日本人好みでした。
ビールは評判通りの味で口に合いました。ピスコ酒に卵白,砂糖、レモン汁で作るピスコサワーは、何か郷愁を感じさせる味わいで、美味しくいただきましたが、30年前にメキシコで飲んだマルガリータにはかなわないかな、と思ったりしました。
高山病の予防に効くと勧められたコカ茶は変な臭い、味がして、毎朝、薬と思って飲みましたが、3杯以上は飲めませんでした。まずい、といえばアルパカの肉も特有の臭いがして、食欲はわきませんでした。
私もこれまで世界各地で、いろんな食体験をしました。蒙古8日間の旅では、毎日が羊料理でしたが、最後まで食べ続けたのは私一人でした。ところが、トルコの旅では、世界3大料理の一つ、トルコ料理がダメでした。香辛料の匂いでしょうが、医者の私にはワキガの臭いで、1週間、ほとんど食べなかった記憶があります。
今回の旅でも、人それぞれに好みがあって、旅と食べ物の関係はおもしろいものだな、と考えさせられました。
ペルーでの夜の音楽は文句なしに良かったですね。せつなく、哀愁を帯びたアンデスの調べが大好きです。チャランゴ、ケーサ、サンポーニャ、ボンゴが奏でる「コンドルは飛んでゆく」「花まつり」の音色が、自分の苦しかった人生と相和すようで、たまらない感じになります。ペルーに来てよかった、という実感がわきました。
旅は、マチュピチュ遺跡へと続きます。クスコから130キロ、ウルバンバ川渓谷の山の上にあります。文献上では、その存在が分かっていたが、1911年に奇跡的に発見されました。美しくも、不思議な、この考古学的石造建造物群。馬もいない、物を運ぶ車輪の知識もないインカ族は、この石造建造物を、どうやって造り上げたのか。人間ってすごいなあ、人間には、無限の可能性があるんだなあ。「驚嘆」ということばが、初めて脳裡に突き上げてきました。人間の持つ、計り知れないパワーを、改めて思い知らされました。
12月31日、クスコから海抜4300mのラ・ラヤ峠を越えてチチカカ湖のプーノへ向かう。仲間の一人が高山病になり、酸素吸入。私は幸い元気で、翌朝、トトラという葦が5mぐらい積んでできた浮島を訪れました。浮島ごとにマイマラ族、ウロス族と、人間が暮らしている。子ども達が生き生きしている。すばらしい、人間の生きる力ってすごいな、と思いました。
セスナ機上から「ナスカの地上絵」を見ました。この絵、どんな意味で描いたの、なんて詮索するのはアンデス人に対する冒涜です。古代人は神々に対する信念をもって描いたのであろう、と思いました。
最後に過ごした首都、リマはスペイン人がつくった街で、人口790万人、国全体の人口の4分の1が住んでいます。目を惹かれはのが、ミラフローレス海洋公園(恋人たちの公園)にある愛のモニュメントでした。その愛し合う像は、若い人たちではありません。皺の寄った高齢者でした。男と女、陰と陽、愛は年齢なんか関係なく、人間同士の明るい関係はどうあるべきか、を語りかけているようでした。日本の愛の風習とは全く違うイメージの像を見ながら、「抱擁って、なんとすばらしいことか」と、つくづく感じ入りました。
年明けの1月5日、帰国しましたが、期待通りの実り多い旅でした。
|