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プロバスクラブ会長 門田 明氏、ご逝去
 ―9月4日、ザビエル教会で葬儀、古木会員が弔辞読む


2009.9.4 於:ザビエル教会

 鹿児島西RCの提唱クラブ、鹿児島西プロバスクラブ会長で、鹿児島とアメリカ・サンタローザとの友好親善に尽力された鹿児島県立短大名誉教授、門田 明氏が9月1日午前、他界されました。79歳でした。
 お葬式は9月4日、鹿児島市内のザビエル教会でしめやかに執り行われました。当クラブ会員をはじめ多くのロータリアンも参加して門田氏の冥福を祈り、古木圭介会員が心情のこもった弔辞を読みました。
 門田氏は神戸の生まれで県立短期大学で教鞭をとられるかたわら薩摩藩留学生「長澤 鼎」の研究で欧米に調査旅行を重ね、その実績は著書をはじめ多くの講演記録や投稿などに残されています。
 ここに古木会員の弔辞(全文)を収録し、門田氏の足跡などをご紹介すると共に、改めて故人のご冥福をお祈りします。

◇弔 辞   古木圭介会員


 門田 明先生
こんなにも早いお別れが訪れるなんて思ってもいませんでした。
最後に先生にお会いしたのは、七月二十二日の夕方でした。先生が入院しておられる鹿児島市立病院を訪ね、横になっておられた先生に私が5月に訪れたアメリカのサンタローザの報告をしました。
そして、しばらく二人で楽しく語り合い、別れるときはエレベーターまで送っていただきました。
先生は昭和五年のお生まれで神戸で育たれ、大学卒業後、宮崎の日向学院の英語の先生として社会人第一歩を踏み出されました。
奥様の洋子さんとは、当時、鹿児島純心女子学園で数学の先生として教鞭をとられていた御縁で結ばれたとお聞きしています。
先生の女性観はその当時から鋭かったのでしょう。
「化粧をしない女性しか妻にしない」ということでした。
女性は化粧などしなくても心の清い人は美しいということを分かっておられたのでしょう。まさに先生がこよなく愛された洋子さんはその通りの方だと思います。
先生は昭和四十一年、鹿児島県立短期大学に招かれ鹿児島での活動が始まりました。
その間に、鹿児島純心女子短期大学や鹿児島大学などでも教鞭をとられました。
先生の数多い研究の中で、最も私たちに身近なものが、幕末の薩摩藩 留学生「長澤 鼎」の研究でしょう。
私が 先生に最初にお会いしたのは、先生が鹿児島県育英財団の派遣研究者として ロンドンに滞在されているときでした。
先生は、この研究のためアメリカ、カリフォルニア州サンタローザにもたびたび足を運ばれ、先生の名著ともいうべき「カリフォルニアの心魂」を出版されました。
一人の若き侍が、英国に渡り、さらにアメリカの開拓民として葡萄王と呼ばれるまでになった ストーリーは多くの方々に 感銘を与え、鹿児島に新しい風を吹き込んでくださいました。
その御縁で、サンタローザの鹿児島友好協会会長の、ファーン・ハージャーさんが来鹿された 昭和五十八年十一月、私は先生に呼ばれて、サンタローザ友好協会を発足させることになりました。
第一代会長に当時、黎明館館長をされていた新納教義先生を迎え、門田副会長、古木事務局長という組織でスタートしました。
先生の功績は枚挙にいとまもありませんが、いつも斬新で、私利私欲のない まっすぐなご性格が示すとおり、彫刻家の中村信也先生作の「長澤像」をアメリカに贈る企画から実行までや、山形屋オリジナル、「ナガサワ・ワイン」の輸入、そしてザビエル上陸四百五十周年関連事業の推進など、多くの実績を残されました。
そして、なんと言っても、大切な事業が、今年で二十三年目を迎えた「青少年交換学生」プログラムでしょう。
将来を担う高校生や大学生を毎年、日米両国で十五名づつ交換し、長年にわたり若者たちの成長をじっと見守っておられました。
サンタローザに行けば、必ず「プロフェッサー・門田」はお元気ですか、という言葉が聴かれます。
門田先生は、誰よりも薩摩の魂が分かり、国際化を実践をされた方でした。
私は先生のもとで三十年あまり薫陶を受けたことに 心から感謝を申し上げる と同時に、先生と意義のある活動をさせていただいたことを 誇りにしています。
先生のご性格は、ここに参列されておられる多くの方々がお分かりのように大変陽気で楽しい方でした。
しかし、一旦、壇上に立って、マイクを持つと、そのスピーチの内容はまさに聴く者を魅了していました。
特に英語のスピーチは、格調高く、英国人やアメリカ人でさえ感動する内容でした。
私は鹿児島のジェントルマン・ランキングを密かにパソコンに入れていますが、門田先生がそのナンバー・ワンにランキングされています。
それは私なりの勝手な基準ですが、常に冷静で紳士的であり、女性にやさしく、教養とユーモアがあり、そして「サムライ精神」を持っているかで順位を決めています。
先生はそのすべてに該当すると言っていいくらい条件を満たしておられました。
このランキングはしばらく破られることはないと思います。
そして、いつの日か、先生が送り出した多くの若者の中から長澤鼎のような人物が出てくることを願っています。
先生は無類のお酒好きでした。
奥様の洋子さんがいつも飲み過ぎないように 諭されておられたようですが、宴席などではよく飲まれ、酔いとともにお得意の宮崎民謡 「刈りぼし切り歌」がでてきました。
決して美声とはいえないのですが、深い味のある歌声でした。
先生との思い出話はいつまでも尽きません。
これからは残された私たちが先生の意志を継ぎ、少しでも先生のような国際感覚を持った「サムライ」に近づけるように努力して参ります。
門田先生は私どもの目標です。
お別れするのは辛いことですが、安らかに 天に 召されたことだと思います。
次は 私が天国に行った時にお会いできることを 心から楽しみにして お別れします。
門田先生、有難うございました。
そしてサヨウナラ、See you again in Heaven!
And God bless you!.

古木圭介

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