平成19年12月3日 小林 勉会員〈(株)山形屋常務取締役〉卓話
自然の力を謙虚に受け入れる発想に敬意 「ちょんちょこ橋」の思い出
私は少年時代、鹿児島市原良町300番地で育ちました。東西に長い原良町の中で、最も東側の甲突川沿いに位置します。ただ、人には「川ぞいで、じっぎょう(鹿児島実業高校)と、刑務所(現在鹿児島アリーナ)の中間あたりの、お寺のような瓦屋根の門があるところ」と案内しておりましたが、この説明が一番分かりやすく、間違いなく訪ね当ててもらえました。
この家から100mほど上流に行った、丁度、鶴尾橋と原良橋の中間地点で、今の草牟田橋の少し上流に、表題の「ちょんちょこ橋」がかかっており、両岸の住民には、通勤・通学や買い物などの行き来に、大変重宝されていました。 私も中学・高校時代の6年間、通学時の往復をはじめとして、永い間、毎日の様に利用させて頂きました。
もちろん、「ちょんちょこ橋」は正式な名前ではなく、愛称で呼ばれていたのでしょう。由来は多分、「小さくて、チョコンとしている」ところからだと思いますが、ひょっとすると、「その形状からきたもの」なのかも知れません。
と言いますのは、この橋は、図を見ていただければお分かりのように、普通の橋のように一本の真直ぐなものではなく、幅80cm、長さ1.8mほどの筏(いかだ)状の橋が20本以上も、左右はすかいに繋がって出来ており、渡る人もひとつの筏から次の筏に移る度に、左右に「ちょん、ちょん」と移動しながら歩いてゆくことになるのです。
筏状の橋は、10cm角位の角材を7〜8本横に並べて針金で括った物で、1.5m間隔位に立てられた、水面から1mぐらいの高さの橋げたに乗せてあるだけのシンプルな造りです。
ところが、甲突川が増水した時には、このシンプルさが効果を発揮するのです。
水かさが普段より1m位増えてくると、筏状の橋は、橋げたに固定されていませんので、プカリと浮き上がります。しかし、筏同士は1〜2m位の針金で繋がれて、しかも、その端は両岸に繋がれていますので、真ん中から左右に分かれて2本の筏の列が、両岸に沿って、流れに任せ浮いている状態になります。
川の流れは、中央部が最も激しく、両岸近くは比較的穏やかですので、2つの筏の列は、さほどダメージを受ける事もなく、水かさが減るのを待って、2〜3人の男衆が川に入り、順次筏を橋げたに乗せれば一件落着ということになります。 橋全体が、固定されたものでしたら、ひとたまりもなく破壊されて、造りなおしという事になっていたと思います。
思い出せば、原良町側の橋の袂にあった、お風呂屋さんと散髪屋のおじさんが、大雨の翌日にはいつもこの橋のリセットをしておられましたので、このお二人が、橋の構造を決め、造り、護って下さっていたのではないかと思います。
もしそうだとすれば、お二人の最初の動機は、自店へのアクセス向上の為だったかも知れませんが、考えてみますと、「職業を通じて社会に奉仕する」というロータリーの精神を、飽きることなく繰り返し実行されていたことになります。しかも、自然に逆らう事無く、その力の凄さを謙虚に受け入れた上で、自分達にできる方法を考える。そういう自然体の発想に、今更ながらではありますけど、敬意を表し、感謝申し上げたいと、懐かしく思い出した事でした。
(株)山形屋
常務取締役 小林 勉
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