平成19年10月29日 岩切 豊 会員<宗教法人 松原神社宮司>卓話
[言挙げ(ことあげ)]の時代へ― 良き国風を次の世代に伝えるために
言挙げとは、自分の考え等を言葉に出して言明することです。
万葉集(第13巻・3250)に「あきづ島大和(やまと)の国は神(かむ)からと言挙げせぬ国」(訳:大和の国は神意のままに、人は自分の考えを言葉に出してはっきり言うことをしない国である。「あきづ島」は「大和」にかかる枕詞)とあります。
古代では、「言挙げ」は不吉なものとされていたようだが、自分の考えをはっきり言葉にして言うことをしない傾向は今日においても強いように見えます。
万葉集(第18巻)にはまた、「言挙げせずともしは栄えむ」ともあります。皆さん各自の考えを、ことさら明言し、声高に訴えなくても物事は進んでいきます、というのです。これは、日本の風土上の特質に依るよるものでしょう。言われなくても、移信(心)伝信(心)、伝誦はできるよ、という訳です。
たとえば、それぞれの風俗習慣や四季折々の歳時記といったものも、祖父母や両親がやっていたから、それを見習って自分もしている、その意味合いもなんとなく解かったつもりになっている。人に聞かれると、確信を持って明確には答えられないが、でもさして不自由は感じることなく、親から子へ、子から孫へ、子々孫々へと受け継がれて静々と時が流れている。初詣、節分、雛祭り、端午の節供、彼岸、御盆、十五夜、それに各家の宗旨に則った宗教行事等々、身近な事例が沢山、あります。
ところで、国際化した今日の日本の現状はどうでしょうか。このままで良いと思う人は少ないのではないでしょうか。太平洋戦争後、GHQの占領政策により日本の伝統的な風俗文化や生活習慣、国の有り様が方向転換を余儀なくされました。
福田現首相の父上である元首相の故福田赳夫氏が「戦後日本は物で栄え、心で滅んだ」と言っていたのを思い出します。特に、内閣副総理大臣時代、「私は内閣拭く掃除大臣です」と名乗り、「このままではいけない。日本の良い文化は再評価し、次の世代に正しく伝えていかなくては、明るい将来はない。礼節を守り、心身を鍛え、愛国心を持ち、誇り高く国風(くにぶり)を守らなくてはならない」と、語っていました。
例えば、食糧問題を考えてみましょう。わが国は古来、農耕で栄え、立国してきましたが、現状はどうか。食糧の自給率は40%を切っています。一方、欧米先進諸国は主食の自給率は100%以上で、余剰農産物の輸出に力を入れています。だから、わが国に対して、農産物の関税を全て撤廃し、輸入量をもっと増やせ、と外圧を掛けてきます。
わが国は食糧を外国の輸入に頼らなければ生きていけない国になっています。日本は戦争で敗れ、経済戦争で敗け、食糧戦略に敗れ、都合三度敗けたといわれています。これが今の日本の現状です。
「人はパンのみにて生きるにあらず」ともいいますが、食べれなくては生きて行けないのも現実です。ならば、わが国の食糧自給率を、いかにして上げるか。その具体的な方策をめぐって声高に、議論を尽くすべし、であります。
もちろん、食糧問題にとどまらず、社会問題化している各種の事柄についても詳細に分析し、改めるところは正しながら、日本の良き国風を次の世代に伝えていきたい。そのためには、それぞれが問題意識を持ち、自分の言葉で認識し、その言葉を発することで相互理解を深めたい。つまり、これからは「言挙げ」が大事だということです。物言わぬ者は存在しないに等しいなんて言われないようにしましょう。言挙げせぬが奥ゆかしく尊からず、ということです。
ただ、対象によっては、言挙げするか、黙するか、見極める目を養うことが大切なのは言うまでもありません。
宗教法人 松原神社
宮司 岩切 豊
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