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平成19年5月30日 大野 達郎 会員卓話

つながりの「核」家族


 「バージニアの四月は、花ミズキの花がとても美しいのよ」。シカゴからワシントンに向かう飛行機のなかで、隣のご婦人が話してくれた通りだった。とりわけバージニア大学のあるシャーロットビルの街は花霞につつまれ、さながらシャングリラ(桃源郷)のような趣だった。GSEのプログラムでここを訪問したのは、もう四半世紀も昔のことだ。ステイ先では家族・友人ぐるみで温かく歓迎され、各地の新聞社はもちろん大学や多くの企業を見学することができ、生涯二度と得られぬ貴重な思い出である。
 州都リッチモンドでは、エドワード・ギボンスさんのお宅にホームステイした。図らずもご夫妻と、お互いの家族観について意見を交わすことになり、「日本では核家族化が進んで」と言おうとして「核家族」をどういえばいいのか迷ったことがある。ものは試し「ヌークリア(核)・ファミリーという言葉がありますか」と聞くと、「ええ」という。「それはどんな意味」と訊ねると、「離れ離れになっていった家族がいつでも集まる、中心になる家族のこと」と説明された。
 その答えに虚をつかれたような思いがしたものだ。日本語とは逆の求心的な概念として「核家族」という言葉が使われる。一種の驚きとともに、それまで自分が何者かに騙されてきたのでないかという思いにもかられた。騙してきたのは日本の戦後社会・文化といっていいかもしれない。
 この四月、日本では団塊世代と呼ばれる大量の人々が会社や役所を退職していった。戦後生まれの世代はまさに「量」としてとらえられ、ふるさとや家族を離れて都会に仕事を求め、高度成長の時代を支えてきた。親から独立して新しく作られた家族が「核家族」であり、「独立する」「一人前になる」ことの象徴的な意味合いを帯び、むしろ戦後の新しい文化生活の担い手としてもてはやされてきた。
 考えてみれば、明治以来、日本社会では「家」という求心的な概念を壊すことが新しい文明を受け入れることだった。戦後はその延長線上に、分裂的な「核家族」という言葉が生まれ、社会ぐるみで必死に大量消費文化づくりにまい進してきた。今日の携帯文化の広がりなどみると、家族の核分裂はさらに進化し「個」の文化ばかりが氾濫するようになった。
 作家の佐木隆三さんは、「家族や友人といった『人のつながり』。その存在をどうでもいいと思った瞬間、人は溝を飛び越えてしまう」という。日々の事件報道をみると、夫婦や親子という基本的な「人のつながり」を失った人々がなんと多いことか。その無軌道な犯行には、人間味のかけらさえなく言葉を失うことも少なくない。
 もともと日本人にとって「人のつながり」は極めて大切なことだった。それこそが日本文化の中心核といってもいい。けれども、経済大国への道程のなかで、日本人の伝統的な心の風景は少しずつぼやけ色あせてきた。見失った「求心的な家族」の原風景を再生するのは容易なことではない。しかし、それをしない限り日本人の心の再生はないのかもしれない。
 

南日本新聞社・監査役
大野 達郎

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