鹿児島西ロータリークラブ  

久しぶりの台湾


2012年11月28日 古木圭介会員

明治30年代、西郷菊次郎が宜蘭県の長官として赴任していた。
西南の駅で片脚を失う負傷を負った西郷隆盛の息子である。
明治政府の重鎮となり、京都市長も務めた。
宜蘭時代に河川の土手を改築する治水工事を行ない、その功績が今でもその土手に碑として刻まれている。
そんな歴史的な縁があり、鹿児島県議会と宜蘭県議会が姉妹盟約を結ぶということもあり、私の所属する鹿児島西ロータリークラブと宜蘭ロータリークラブとの姉妹盟約が、会員の玉川さんから発案された。
染川会長も多いに同意され、来年3月の創立50周年を期に締結することになった。
その事前準備のため会員5人で台湾を訪れることになった。
私も50周年の実行委員長として参加を呼びかけるために同行した。
福岡空港を飛び立って2時間20分で台北の桃園国際空港に到着。
空港には宜蘭ロータリークラブの会員3人が出迎えてくれた。
高齢の台湾人は日本語が出来るが、60代以降の方々は難しい。
81歳の葉さんは元国会議員で宜蘭ロータリークラブの重鎮で、通訳としても貴重な人材だ。
台北市内を通過して、台湾一長いトンネル(12.9キロ)を抜けると広々とした宜蘭県に入る。このトンネルが出来るまでは、宜蘭山脈を越えて行く道路しかなく長時間を要していたとのこと。
葉さんに、「トンネルが開通して台北市内からたくさん観光客が宜蘭にくるようになったでしょう」と言うと、「たくさん来ますよ。帰りには沢山のゴミを置いて行きます」と苦笑いをしながら答えてくれた。

さて宜蘭では大歓迎を受けたことを記さねばならないだろう。
着いた夜は11のロータリークラブの年に一度の合同例会であった。
約500人もの会員と家族などが集まっていた。宜蘭県知事をはじめガバナー、そしてゲストなどである。
セレモニーに続いて経済アナリストと思しき方の講演が一時間ある。中国語なのでほとんどはわからないのだが、スライドで示されたグラフなどで大まかな内容が推測できた。世界経済と台湾の経済についてだったようだ。

何故台湾の人は日本に好感を持っているいるのだろうか。
先日、金美齢さんの講演を聴いて良く理解できた。
一番の理由は、戦前の50年間にわたる日本の統治時代に、多くの日本人教師が送り込まれ、良い教育を施したことにあるとのことだった。
そして日本が敗戦し、日本人が台湾から引き上げて行く時には多くの台湾人が港で涙を流して見送ったとのことだ。
今から67年前の話である。
もと教師をしていたと言う李英茂さんは「私は17歳まで日本人でした」と誇らしげに流暢な日本語で語っていたのが印象的だった。
当時、学徒動員で工場で働いていたとのことだ。

その後、蒋介石率いる国民軍が中国本土から入ってきた。
1947年、8・28事件が起こった。
その事件は中国からきた軍人が台湾人の女性を殺害したことに端を発し、怒った住民が総統府にデモをかけた。
そこに待っていたのは機関銃を構えた国民軍で、一斉に機関銃が火を吹き多数の市民が次々に斃れていった。
これは悲惨な虐殺事件である。
国民軍は日本に協力したという理由で多くの台湾人を虐殺したという。今ではその現場が8・28公園として市民の憩いの場になっているが、もともと台湾に住んでいた人たちにとっては忘れることの出来ない事件だったのだろう。
それがホウ・シャオシェン監督の名作映画「非常城市」に取り込まれている。

今では言論も自由になってはいるが、蒋介石独裁政権下で台湾独立運動をしたもの達は厳しく取締りを受けたようだ。
蒋介石は一生総統職を続けるため憲法を改正して死ぬまで統治を続けた。
大陸で知り合った美女の宋美齢は彼の4番目の夫人として外交的な接待役に活躍したようだ。
私どもの宿泊した圓山大飯店(Grand Hotel)は当時、国賓級の方々を迎える迎賓館的な館として建てられた。
今ではだれでも泊まれるホテルになっている。
その廊下に飾られた写真をみると世界各国から訪れた要人と蒋介石夫妻が写っている。
1960年には米国大統領のアイゼンハワーがいる。
そして彼の泊まった部屋はアイゼンハワー・スイートと銘板が入り口のドアにはめられている。
何と、今回の部屋割りで私の部屋がそのスイートルームとなったのである。
今から50年も前にこの部屋にアイゼンハワー夫妻が泊まったのである。
今ではこんな狭いスイートルームに泊まったのか、と驚くが当時としては豪華な部屋だったのだろうと思われる。
部屋に入るとソファーがある居間がある。
奥には大きなベッドが2つ置かれたベッドルーム、そして右には大きなバスルームと続く。このバスルームは馬鹿でかく日本のビジネスホテルの1室より大きい。

今の5つ星のスイートルームとは比べるべくもないが、当時できる最大の部屋だったに違いない。
この部屋に2泊できたのは台湾滞在の良い想い出になった。
部屋には記念の品の入った飾り棚が置かれ、アイゼンハワー夫妻の写真が印刷された絵皿、大統領からのお礼状のカード、そして当時市内パレードなどに使われアメリカ製のオープンカーが飾られていた。

台湾は今では中国とは別の道を歩いているが、この先も常に中国からの脅威と向かい合いながら発展を続けて行くのであろう。古き良き日本統治時代を知る少数の台湾人にとっては複雑な気持ちであろう。

我々の姉妹盟約が両国の理解を深める一助になることを心から念じている。

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