鹿児島西ロータリークラブ  

「The Four−way Test / 四つのテスト」
 ―鹿児島の先人、本田親男が和訳


長柄 英男会員

 「The Four-way Test」はハーバート・テイラーが1932年提唱、のちに世界のロータリアンから尊敬と理解を育て企業を発展させる指針として用いられるようになりました。そればかりでなく、多くの学校や地域社会、国家でも活用されるようになり現在にいたっています。

東京RC 本田親男 氏

 ロータリー文献の和訳は戦前から大きな課題でしたが、戦後国際ロータリーへ復帰した時に日本全体のガバナーとなった手島知建(てじまともたけ)が、RTから日本語訳決定の権限を委譲され、ロータリー創立50周年事業の一環として和訳を全国のクラブに公募、寄せられた70数件の中から東京ロータリークラブの本田親男が当選し、現在の形となっています(標題は、応募された訳のなかで最も多かった「四つのテスト」を手島氏が選んだと伝えられています)。
 当時の本田親男は毎日新聞社の社長で東京ロータリークラブのメンバーでした。1899年、鹿児島市荒田に生まれ、八幡小学校、第二中学校(甲南高校)を卒業、さらに早稲田大学高等予科英文学科へ進学しましたが中退、神戸新聞社に入社して記者を勤めました。その後、大阪毎日新聞社に入社、記者や編集者として多くの実績を残しています。戦後すぐに大阪本社代表となり1948年に社長に就任しました。プロ野球の毎日オリオンズ、毎日放送の設立などにも関係したとされています。
 本田親男の父は、現在の南日本新聞社の前身である鹿児島新聞の編集長を努めた本田吉次で、明治42年、親男が10歳の時に亡くなっています。生家は八幡小学校の隣にあり、敷地がかなり広く、祖父の省三は動物園を作っていたという記述もあります。すぐ近くには郷中教育の研明舎があり、学科の勉強や示現流や水泳などの鍛錬を受け、10歳頃には桜島を往復できたといいます。
 二中では型破りの校長として有名な前波仲尾校長の鮮烈な影響を受けました。前波は編み上げ靴を履きゲートルを巻く服装を徹底、新聞研究部を作り、新聞の読み方を通じてものの見方、考え方を少年たちに教えました。早くから新聞記者を志望していた親男は喜んで入部、駅(現在の鹿児島中央駅)に着く大阪毎日新聞や時事新報を受け取りに行き、放課後にはニュースを読み討論を行いました。また前波は毎週1回、社説をプリントして全校生徒に読ませ感想を書かせたといいます。現在でもそこまで徹底した教育を行っているところは少ないと思います。
 鹿児島が生んだ先人の翻訳が50年以上を経てもなお、人々が暗記する、口にすると思えば感慨を覚えます。また難解な翻訳が多いロータリーの中で明快な名訳であり、鹿児島のロータリーの誇りになる歴史だと思います。

※参考文献:東京ロータリークラブ70年、東京ロータリークラブ1990、本田親男追想、本田花子1983

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