八島太郎生誕百年展に寄せて
南日本新聞社監査役 大野 達郎
日本語版「からすたろう」の表紙に作家の水上勉さんが感動的な一文を寄せている。
「八島太郎さんは、アメリカに住んで日本の心をうたいつづける画家である。…遠い海の彼方の異国から、故郷に向けてさしだされた不思議な光と人間誕生の歌が聞こえてくる」
「日本の心」あるいは「故郷の光」そして「人間誕生」という言葉は、そのまま八島太郎という奥深い愛情と魅力をたたえた人間を知るキーワードにほかならないと思う。
昭和の初め、八島太郎(本名・岩松惇)は絵描きを目指して東京美術学校に入学した。南日本新聞紙上で八島太郎の評伝を書いた渡辺正清さんによると、八島太郎は入学当時の東京の世相を「失業者が巷にあふれる大恐慌のさなかにあった。いたいけな少年奉公人の三原山火口への投身自殺が流行(はや)り…」と回想していたという。
日本がまさに、暗い奈落の底に転げ落ちていく時代。それはまた、この国を動かす野心的な人々と、正義感や人類愛に燃えた文学者や絵描きたちが、もっとも峻厳に対立し己の生き方までも問われた時代であった。八島太郎は、常人が知る由もない暗黒の世相の最も暗い世界まで足を踏み入れ、悩み抜き、生き地獄を生き抜いてきた。
多くの日本人もまた塗炭の苦しみを味わってきただけに、立場の違いから、八島太郎を見る目や評価もさまざまで、偏見や明らかに誤解されていることも少なくないと感じる。
日米が激しく戦い、目をむくような反日感情が渦巻いていたアメリカで八島太郎を見出した軍部の上司はまず「(八島の)人間としての高潔さに惚れ込んだ」という。そして彼が戦場の日本人に訴えたメッセージも「日本兵よ死ぬなよ」「祖国は君を待っている」という心の底からの叫びにほかならなかった。
八島太郎が絵本を作るようになったきっかけは、戦後の生活困窮と胃痛にさいなまれるなかで、幼いわが子の成長に幾度となくいやされることがあったからだという。あの「あまがさ」に描かれたモモの可愛いらしい仕草、彼女の心や手足の動き一つひとつを見逃さない父親のまなざしは、そのことを伝えて余りある。
水上勉さんは、さらに言葉を続ける。「この“ちびの物語”(『からすたろう』)はもはや世界の絵本の古典だろう。学歴重点主義の日本の教育界でも、その親たちにも、ぜひこの本を読んで、子供の心の美しさを考えてほしいと思う」そんな八島太郎の実像を、この生誕百年の節目のときに、多くの県民とともにしっかり思い起こし、郷土の誇りとして後世に語り継いでいきたいものである。
大野 達郎
※ ポスターの画像をクリックすると、大きいサイズの画像を閲覧できます。
<八島太郎生誕百年展のお知らせ>
■とき
2009年4月29日(水)〜5月27日(水)
AM9:00〜PM5:00(休館日なし・入場PM4:30まで)
■ところ
長島美術館
■入場料
前売券600円 当日券800円(中学生以下、身障者は無料)
■公式WEBサイト
http://taroyashima100.web.fc2.com/
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