≪ロータリー賞とは≫
鹿児島西RCは社会の目立たないところで誠実に、継続的に意義のある社会奉仕活動を続けている個人あるいは団体を顕彰するためロータリー賞を創設。クラブ内の推薦委員会の選考を経て受賞者を決め毎年、クラブ創立記念日に表彰式を行っている。第1回は昭和40年。
●ロータリー賞
※記載は2013年3月1日現在の情報です。
■第46回(平成24年4月4日)
「鹿児島弁を語り継ぐ会」を設立し、子供たちに鹿児島弁の魅力を伝える 鹿児島弁を語り継ぐ会 代表幹事 |
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鹿児島弁を貴重な文化としてとらえ、幼稚園や小学校、高齢者福祉施設 を訪ね、民話の読み聞かせや手作りの紙芝居、寸劇の披露を通じて鹿児 島弁を語り継ぐ活動を行っています。 |
誰もが一緒に音楽を楽しみ共感できる場として、 とっておきの音楽祭in鹿児島 準備委員会 |
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障害のある人もない人も一緒に音楽を楽しみながら、心のバリアフリー を目指して開催される無料の街角コンサート「とっておきの音楽祭(2001 年仙台市で初開催)」の鹿児島での開催に向け大きく貢献されています。 また、ロータリーの青少年交換事業にも理解を示され、ホストファミリー としてご協力を頂きました。 |
■第45回(平成23年3月16日)
13年間にわたり、小学生とのふれ合いを通じ、生徒たちの健全育成に貢献する 岩澤 亮さん(73歳)=鹿児島市 |
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岩澤さんは13年前から毎朝、鹿児島市立山下小学校の通学路の清掃をした後、横断歩道に立ち、登校してくる生徒たち一人ひとりと握手し、体調を気遣ったり、激励の言葉をかけるほか、正しい服装や礼儀作法を指導、生徒たちの健全育成に貢献している |
22年間にわたり、認知症とその家族を支え、 公益社団法人・認知症の人と家族の会鹿児島県支部 |
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同会は1989年、鹿児島市痴呆性老人を支える家族の会として発足、患者や家族の悩みを聞き、本音で語り合える集いを主宰するほか、認知症の啓発や人権擁護、保障の充実に取り組んでいる。その熱意は、行政をはじめ医療関係団体や報道機関も動かし、地域社会に認知症への理解と支援を求める活動へと活動の輪が広がっている。 |
■第44回(平成22年3月31日)
25年間にわたり、幅広いネットワークを通して地域づくりに取り組んでいる 「語らいの駅」GALLERY大坪茶舗代表 |
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大坪さんは25年前から、何とかふるさとを元気にしようと、地域と人の幅広いネットワークづくりを進めながら、地元資源を生かした、地域に根差した地域づくりに取り組んできた。 |
■第43回(平成21年3月25日)
戦後から60年にわたり、家庭環境に恵まれない子供たちの養護養育に献身的に尽くしてきた 社会福祉法人善き牧者会児童養護施設「愛の聖母園」 |
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戦後間もない昭和24年に戦災などで両親や家を失った子どもたちを養護するために設立された。その後、時代は変わっても幼少年期における成長に欠かせない家庭での保護や教育の場から疎外された子どもたちを受け入れてきた。平成21年3月現在の在園児は、2歳から高校生までの男女58名(定員60名)。25名の施設職員が子どもたちと一緒に暮らしながら、子どもたちのすこやかな成長への熱い思いや情熱を傾け、愛と奉仕の精神で献身的な養護養育活動に取り組んでいる。 |
■第42回(平成20年3月26日)
甲突川の松方橋付近の左岸に可憐な四季の花々を育てる 平田重吉さん(91歳)=鹿児島市 騎射場公園のトイレを清掃 徳永絹子さん(60歳)=鹿児島市 |
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受章されたのは平田重吉さん(91歳)と徳永絹子さん(60歳)の二人。平田さんは、長年にわたり甲突川の松方橋付近の左岸に可憐な四季の花々を育て、川べりを散歩する人々やジョギングする人々の目を楽しませ感謝されている。徳永さんは毎朝6時から8時まで、騎射場公園のトイレを素手で洗い、多くの人々から「気持ちよく使える」と感謝されている。 |
■第41回(平成19年3月14日)
ろうあ者のために独自の音楽活動を続けている歌手 吉祥谷 友歩さん=鹿児島市 |
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吉祥谷さんは2002年から、ろうあ者と健常者が一緒になって楽しめるコンサートを目指し、活動を開始した。双方が音楽そのものの楽しさを共有するため、歌を「歌の気持ち=メロディー」「歌詞」「テンポ」の3つに分解し、それぞれを歌手と3人の仲間のパフォーマーがダンスや手話、さらにはプロゼクターを使っての歌詞の投影などを駆使した、世界初の演出に挑戦した。 |
■第40回(平成18年4月12日)
住み着いた鹿児島から地域文化を発信する フリーライター ジェフリー・S・アイリッシュさん(45歳) |
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アメリカ生まれのジェフリーさんはエール大学を卒業後、来日して清水建設に入社。29歳を定年と定め、鹿児島・下甑島に移住、漁師に。その後、川辺町に居を移し、牧場の見張り小屋に住み始める。村人と一緒に農業に取り組む一方、集落の小組合長に就任。地域活動に努め、住民の厚い信頼を得る。また、地球市民教育ネットワーク鹿児島事務局長として地球温暖化など環境問題にも取り組むほか、鹿児島での暮らしや体験を本にまとめたり、南日本新聞の連載コラムやテレビ出演などで鹿児島の情報を全国へ、あるいは世界へ発信している。さらに、青年を対象に「田舎学」を開講、郷土のすばらしさを再発見する場を提供している。 |
■第39回(平成17年3月30日)
観光案内のボランティア活動に打ち込む 鹿児島観光語り部(寺田克己代表)=鹿児島市 |
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観光語り部は鹿児島市が募集し、研修を終了したボランティア会員46名で結成。土、日曜、祝日などの午前と午後、2人1組になって西郷隆盛像前や城山展望所などで観光案内している。日本人のほか外国人の客も多く、これまでに案内した客は2万人を超える。「これからも心のこもったおもてなしをしたい」と、寺田会長は話す。 |
■第38回(平成16年3月10日)
薬物乱用ゼロを目指す 鹿児島県覚せい剤乱用防止連合協議会 |
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川島会長は自宅の車庫でシンナーを吸っている高校生を目撃、ショックを受けたのをきっかけに薬物乱用防止運動を開始。25年にわたり、運動組織を結成すると共に、その先頭に立って「鹿児島を薬物乱用ゼロ地帯に」を目指し、精力的に活動を続けている。 |
■第37回(平成15年3月22日)
聴導犬育成に貢献する エンゼル聴導犬協会代表 |
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石原さんは6年前から聴覚障害者の心と体のパートナーとなる聴導犬育成などボランティア活動を始めた。4年前にアメリカの聴導犬訓練士認定の資格を取得した後、聴導犬育成のためのエンゼル協会を設立した。同時に、理解が薄かった聴導犬の啓蒙活動に力を入れている。「身体障害者補助犬法」により、聴導犬は国から正式に認められたが、まだ課題が多い。当面、鹿児島でも聴導犬の育成、認定が出来る社会法人設立に向け、運動を続ける。 |
■第36回(平成14年3月27日)
障害者を町に連れ出す運動の 「ひまわり電車を走らせる会」(後藤礼治代表)=鹿児島市 |
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「一度でいいから電車に乗ってみたい」という、一人の障害者のつぶやきがきっかけになって、このボランテァ組織が発足。8年前から毎年秋、市電やバス、JRや桜島フエリーなどを使って障害者を町に連れ出す運動を続けている。「路面電車の走る街」というCDも制作、バリアフリー社会の実現を目指して活動を続ける。 |
■第35回(平成13年3月7日)
夫婦で散髪奉仕の 理容師 伊東 星さん(52歳)=鹿児島市 |
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伊東さん夫婦は15年前から、鹿児島市内の身体障害者療養施設を、月1回訪問、散髪奉仕を続けており、入園者に感謝されている。 |
■第34回(平成12年3月15日)
中国でデザインを指導する 広告デザイナー 小川景一さん(44)=鹿児島市 |
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小川さんは4年前に青年海外協力隊に参加、2年半にわたり中国・桂林の 専門学校で実践的な広告デザインの指導をした。これに対し、中国政府は小川さんに国家友宜(有好)賞を贈り、功績を称えた。 |
■第33回(平成11年3月24日)
一家で施設慰問、散髪奉仕を続ける 理容師 古別府久志さん(46歳)=鹿児島市 |
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古別府さんは毎月1回、定休日を利用して奥さんと息子さん2人の一家4人で鹿児島市内の精神薄弱児施設を訪問、園児たちの散髪奉仕を続けている。園児たちもすっかり一家になじみ、訪問の日を楽しみにしている。 |
■第32回(平成10年3月25日)
桜島の神社清掃を続けて20年の 鹿児島市立黒神中学校(玉江嘉三校長) |
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桜島にある黒神中学校(生徒数10人)は20年にわたり毎朝、先生たちと一緒に学校側にある腹五社神社内の火山噴火により埋没した鳥居と、その周辺の清掃を続けている。また、学校内のトイレを観光客に開放、案内板も数箇所に設置するなど、訪れる観光客に感謝されている。 |
■第31回(平成9年3月19日)
手話で奉仕 25年の 手話サークル「太陽」(大久保由美子代表)=鹿児島市 |
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「太陽」サークルは25年間にわたって地道な手話サークル活動を続けており、心身障害者の社会理解と向上に努めると共に、手話通訳士の育成、技量の向上にも貢献している。 |
■第30回(平成8年3月13日)
自らの障害を乗り越えて 鹿児島西ロータリークラブ |
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日高さんは生まれつきの脳性麻痺による障害を自らの努力で克服し、社会人として立派に自立された。平成6年からは当クラブの提唱するローターアクトクラブに入会、現在は副会長として持ち前の明るさと深い教養により、そのメンバーシップを見事に果たされている。 |
■第29回(平成7年3月29日)
風船バレーボールで障害者を支援する 鹿児島市心身障害者総合福祉センター |
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中川さんは介護が必要な障害者と健常者が一緒になって楽しめる「風船バレーボール」を、平成3年からディサービス事業に取り入れ、機能回復に大きな成果を上げている。しかも、在宅障害者がスポーツを通じ、いろんな人たちと交流し、親睦を深める中で、社会参加への意欲を高めることにも役立っている。 |
■第28回(平成6年3月30日)
おもちゃで社会参加を支援する 「おもちゃ図書館エンジェル」(代表者 松永文子さん) =鹿児島市 |
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松永さんらは昭和61年、心身に障害を持つ子供たちにおもちゃを通じて出会いとふれあいの機会を提供しようと、世界中に広まっていた「おもちゃ図書館エンジェル」を、鹿児島に立ち上げた。医者や主婦、学生ら仲間のボランティアと共に運営に当たり、社会参加を目指す子供たちや親たちに大きな希望を与えている。 |
■第27回(平成5年3月24日)
施設への訪問奉仕を続ける 「さわやか会」(大竹山亘子代表)=鹿児島市 |
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「さわやか会」は、市民学級で看護や福祉について共に学んだ15名の主婦らで結成された。以後15年間にわたり、毎月1回、特別養護老人ホームを訪問し、おむつの整理や入浴の手伝い、美容師会員による髪の手入れ、ホームの清掃など献身的な、心のこもった奉仕活動を続けている。 |
■第26回(平成4年3月25日)
特技を生かして打ち込む 鹿児島県点訳・朗読友の会(海江田悦子会長)=鹿児島市 |
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同友の会は社会福祉に関心のある人たちが、その特技を生かし、視覚障害者を支えようと結成され、30年の活動実績を誇る。会員も100名を超える。会は点訳と朗読の2部会で構成され、童話から小説、歴史、医学分野まで広い範囲にわたって編集、制作した点訳図書、朗読テープを、県立点字図書館に収めている。 |
■第25回(平成3年3月27日)
生活者の視点で問題解決の 鹿児島市立生活学校連絡会(代表者 福留ミキさん) |
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同連絡会は生活者の立場から、地域の課題を取り上げ、調査、研究し、学習を深めながら問題解決に取り組んでいる。とりわけ河川浄化やゴミ問題に積極的に取り組み、廃食油石鹸作りなどによる資源有効利用運動に力を入れている。 |
■第24回(平成2年3月28日)
ボランティア活動で模範の 鹿児島市立武中学校生徒会 |
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武中学校生徒会は自主、自発的に町の清掃活動や募金活動を行うなど、ボランティア活動を通じて地域社会の一員として社会奉仕への関心と実践力を高め、他校の模範となっている。 |
■第23回(平成2年3月23日)
子供たちを交通事故から守る 四元矢二さん(78歳) |
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4人は鹿児島市児童通学保護員制度がスタートした昭和46年から18年間、登校、登園する子供たちを、輪禍から守るため、通学路に立ち、交通整理や指導に当たっている。毎朝1時間ではあるが、休校、休園以外は毎日というハードな勤務。地域の住民から感謝されている。 |
■第22回(昭和63年3月24日)
検視一筋の 警察医 福崎三彦さん(63歳) 新聞配達で奉仕の 鹿児島商工3年 森 達也君 |
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病院長である福崎さんは昭和28年から34年間にわたり、変死体 の検視や留置人の衛生管理などを務める警察医として、人のやりたがらないハードな仕事を黙々と続けてきた。この間、手がけた「仏さん」は1200体にのぼる。医者としての使命感に基づく献身的な活動が認められ、警察庁長官から協力者表彰を受けた。
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■第21回(昭和62年3月19日)
美容で奉仕の 「グループ 風」 |
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美容師の幸さんは昭和49年ごろから福祉施設を訪問、美容奉仕を始めた。同59年からは若い美容師たちでつくるボランティア組織「風」の代表となり、毎年、精薄児のための施設を、会員と共に訪問、園児の髪の手入れなど奉仕活動を続けている。今では園児たちからお姉さんのように慕われ、情緒の安定にも寄与している。 |
■第20回(昭和61年3月20日)
目の不自由な人たちのために 点訳奉仕 是枝勇夫さん(56歳)=鹿児島市 町の美化に取り組む 清掃奉仕 濱島佐兵衛さん(86歳)=鹿児島市 校庭の美化に尽くす 清掃奉仕 上塘ナミさん(63歳)=鹿児島市 |
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是枝さんは昭和55年から県立点字図書館主催の点字奉仕者養成講習会に参加、同56年から点訳奉仕者として登録、奉仕を続ける傍ら、後進の指導にも尽力している。また、地区の青少年教育にも貢献している。
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■第19回(昭和60年3月28日)
交通遺児を支援する 「交通遺児を励ます会」 少年少女の相談相手となる BBS鹿児島県地区会長 |
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岩下さんは大学生だった15年前、鹿児島に「交通遺児を励ます会」を設立した。ボランティア会員たちと共に遺児たちの生活実態調査、街頭募金活動を始め遺児たちの就学、就職の相談に乗るなど、幅広い救援活動を続けてきた。現在も鹿児島市青果商業協同組合理事長の要職にありながら、同励ます会の相談役として遺児たちの力強い支えとなっている。 |
■第18回(昭和59年3月22日)
献血運動に取り組む 鹿児島市宇宿町内会連絡協議会 |
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宇宿町内会連絡協議会は昭和51年から献血運動に協力、毎年、血液が一番不足する8月に町全体で献血に取り組んでいる。
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■第17回(昭和58年3月24日)
目の不自由な人たちのために 県立盲人点字図書館勤務 松田恭子さん(59歳) |
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松田さんは昭和38年から20年にわたり、視覚障害者のために図書の点訳を続けている。 |
■第16回(昭和57年3月25日)
点字奉仕の 鹿児島高校勤務 岩下方成さん(42歳)=東市来町 子供たちの健全育成に尽くす レクリエーション指導者 島森あつ子さん(47歳)=鹿児島市 恵まれない人たちの面倒を見る 駅売店勤務 福留幸子さん(59歳)=鹿児島市 福祉活動一筋の 民生委員 郷原トミさん(70歳)=鹿児島市 |
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岩下さんは「点字友の会」を通じて点字図書づくりに取り組み、勤務先の鹿児島高校内にも「点字クラブ」を創立し、クラブ活動を通じて若き後継者の育成に尽力した。
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■第15回(昭和56年3月26日)
新聞配達を続ける 鹿児島実業高3年 民 広和君 |
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民君一家は6人兄弟のうち4人が新聞配達少年で、家計を支えている。長男の広和君は、学校では学級委員長として級友の信頼を集め、1年間学級全員皆勤という開校以来の快挙を成し遂げた。
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■第14回(昭和55年3月13日)
保護観察者の更生に尽くす 保護司 有島平治さん(68歳)=鹿児島市 スポーツ少年団の指導に尽くす 県教委指導主事 福森千尋さん(44歳)=鹿児島市 |
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有島さんは昭和47年から8年間、保護司として担当する保護観察者の指導、援護活動に成果を上げる一方、住民の防犯意識を高めるため、啓発、宣伝に努めている。
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■第13回(昭和54年3月22日)
看護業務一筋の 県立整肢園総看護婦長 藤園マリ子さん(48歳)=鹿児島市 障害児福祉一筋の 福祉施設「ひかり学園」 独り暮らし老人に尽くす 市家庭奉仕員 和田幸栄さん(57歳)=鹿児島市 |
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藤園さんは28年間にわたり鹿児島大学病院などに勤務、看護行政、看護婦育成など看護業務一筋に歩まれ、整肢園では障害のある園児に対し日常生活の指導を根気強く実施し、実績を上げた。
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■第12回(昭和53年3月23日)
声帯模写で慰問の 福祉施設勤務 有馬良一さん(44歳)=鹿児島市 独居老人の介護役 家庭奉仕員 渡辺米子さん(55歳)=鹿児島市 |
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有馬さんは6年前から休日を利用して県内各地の施設を巡回慰問し、自分で描いた動物の絵を見せながら、得意の声帯模写で小鳥などの鳴き声を披露、施設の人たちを楽しませている。
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■第11回(昭和52年3月24日)
身障者の支援を続ける 「愛のコンパニオン」(窪園達一代表)=鹿児島市 マッサージ奉仕の 鍼灸師 吉井カツ子さん(50歳)=鹿児島市 |
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「愛のコンパニオン」は長年にわたり、精神薄弱児や身体障害者のためにスポーツレクリェーション大会を開くなど、日常生活を共にしながら、良き友となって支援奉仕活動を続けている。
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■第10回(昭和51年3月25日)
「県人権擁護委員 坂口田鶴さん(66歳) |
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坂口さんは昭和34年から人権擁護委員として人権思想の啓発に努め、人権相談などを通じ、社会奉仕活動に励まれ、とりわけ女性の人権向上に尽くされた。
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■第9回(昭和50年3月20日)
医療相談の 医療ソーシャルワーカー 児玉フジさん(74歳)=鹿児島市 留学生から姉と慕われる 留学生支援ボランティア 東 文子さん(28歳)=鹿児島市 |
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児玉さんは永年にわたり医療分野での社会事業活動を推進され、医療相談者として献身的な奉仕活動を続けてこられた。
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■第8回(昭和49年3月14日)
環境衛生事業一筋の 米満静雄さん 坂口愛次さん |
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米満さんと坂口さんは永年にわたり環境衛生事業に献身的につくされている。 |
■第7回(昭和48年3月22日)
大学病院の清掃一筋の ハウスキーパー 伊牟田ミツ子さん(62歳) |
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伊牟田さんは24年間、山下さんは19年間、鹿児島大学病院のハウスキーパーとして病院内の清掃業務に精励。真面目な働きぶりは病院関係者の認めるところで、患者さんからも感謝されている。 |
■第6回(昭和47年3月23日)
手がけた赤ちゃん1万余名の 助産婦 中池知之さん(78歳)=鹿児島市 |
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中池さんは58年間にわたり助産業務に励み、この間、手がけた赤ちゃんは1万人を超えた。また、妊産婦や新生児の訪問指導に努める一方、若いころから助産婦会の役員として後輩助産婦の育成に力を入れ、会の発展に尽くした。 |
■第5回(昭和46年3月25日)
夫婦で辺地校の教育に献身する 教諭 大脇利隆さん(48歳)ナルさん(41歳)=根占町 |
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長年、根占町のへき地にある辺田別府分校に夫婦で勤務。学校施設の整備、児童の学力向上、生活指導のほか集落の電気やラジオの修理や育児の相談から助産婦の代理まで住民福祉のため献身的な奉仕活動を続けている。 |
■第4回(昭和45年3月26日)
町の美化と交通安全運動に励む 諏訪下スポーツ少年団=川辺町 |
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川辺中、川辺高の生徒たちで組織された少年団は昭和38年以来、早走会を続けるなどスポーツ活動に力を入れる一方、清掃活動を通じ、自分たちの住む町の美化に努めている。また、交通整理に当たるなど交通安全運動にも取り組んでいる。 |
■第3回(昭和44年3月27日)
恵まれない子供たちに尽くす 羽島フミさん 富迫ミツエさん |
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川辺中、川辺高の生徒たちで組織された少年団は昭和38年以来、早走会を続けるなどスポーツ活動に力を入れる一方、清掃活動を通じ、自分たちの住む町の美化に努めている。また、交通整理に当たるなど交通安全運動にも取り組んでいる。 |
■第2回(昭和43年3月23日)
駅の清掃など地元奉仕を続ける 海の上部落子供愛護会=鹿児島市平川小校区 |
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海の上部落子供愛護会は結成から40年の歴史を持ち、この間、集落での「火の用心」の見回り、呼びかけや、駅の清掃など地道な奉仕活動を続けている。 |
■第1回(昭和40年10月7日)
「おぎゃ献金運動」を提唱した 開業医 遠矢善栄さん(59歳)=大口市 |
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健康な赤ちゃんを産んだ母親の喜びを、少しでもいいから身体に重い障害を抱えた子供たちに分かち与えられればと、「おぎゃ献金」を提唱。身体障害児救済の一つの試みとして始まった、この運動は大きな反響を呼んだ。献金額も予想を超える巨額にのぼり、障害児に光を投げかける運動として大きな成果を収めた。 |
鹿児島西ロータリークラブ・アーカイブス