長沢ブドウの剪定作業 06.02.04
<鹿児島市立甲南中学校> 国際奉仕委員会
1865年、薩藩の訪欧留学生(鹿児島中央駅前広場・薩摩の群像の諸氏)のうち最年少(13才)の長沢鼎(鹿児島市加治屋町出身)は、10年後にカリフォルニア州サンタローザでワイン製造とブドウの品種改良に取り組んだ。業績により彼はカリフォルニアのブドウ王と呼ばれるに至った。(1934年3月1日没、83才)
カリフォルニアのブドウ王・長沢鼎を縁として、カリフォルニア州サンタローザ市のサンライズRCと鹿児島西RC(外西寿彦会長、岩元基幹事、川平建次郎国際奉仕委員長)は、1989年4月28日に姉妹盟約の締結をした。二つのRCは交換学生事業のほか、R財団の同額補助制度を活用した国際奉仕活動や相互訪問等を継続してきた。
この交流事業に多大の貢献をしてきたのが、鹿児島サンタローザ友好協会(門田明会長、古木圭介副会長)である。門田明氏は鹿児島西プロバスクラブ会長であり、古木圭介氏は鹿児島西RCの会員である。
歴史を見ると、1983年4月、サンタローザ鹿児島友好協会(サンタローザ市・ファン・ハージャー会長)が発足し、ハージャー会長の来日を機に1983年11月、鹿児島サンタローザ友好協会(鹿児島市・新納教義会長、門田明副会長。古木圭介事務局長)が発足している。
また、その前年1982年には、友好親善の記念樹として、サンタローザ鹿児島友好協会(ファーン・ハージャー会長)から鹿児島県民に、長沢鼎のぶどう園で採取されたブドウの苗木4品種12本が贈られていた。3年間神戸の植物検疫所で検査を受けたあと、薩摩郡東郷町の県果樹試験場北薩支場に移され、研究的に試験栽培が続けられた結果、1987年から立派に着果するようになっていた。
1989年、長沢ブドウの苗木は、長沢鼎の出身地(加治屋町)に近い三方限出身名士顕彰会(上之園町)に贈られ、管内の荒田小学校、中州小学校と甲南中学校に植樹された。しかし各校とも代が変わるとともに、長沢ブドウの由緒等への関心は薄れがちとなった。これを嘆いた鹿児島西RCの玉利賢介会員(甲南中学校PTA会長の任にあった)は、長沢ブドウへの注意を喚起すべく、各校にブドウ棚を作るよう呼びかけるとともに、鹿児島西RC(水流洋会長、岩切豊幹事、玉利賢介国際奉仕委員長)に協力を求めて、長沢ブドウの由来を記した銘板を設置させた。(2003年)
その後、甲南中学校を除く両校のブドウは順調に生育しているが、甲南中学校ではなかなか着果しなかった。思案しているうちに、鹿児島西RC水流洋元会長の紹介で、西元直行鹿児島県果樹試験場北薩支場長による剪定および育成指導を受けることが決まり、このたび鹿児島西RCの有志は、鹿児島サンタローザ友好協会,三校の教諭、父兄等とともに剪定作業を実施したのである。切り取った枝は各自持ち帰り、プランター等に挿し木することにした。長沢ブドウの周知と着果が期待されるところである。
以上