2010-2011年度鹿児島西ロータリー・クラブ会長 南 徹
1963年、鹿児島西ロータリークラブ創立以来、47年の歴史が流れた。
僕は、48代目の会長となる。会長の責務の重さはいつの代も変わらない。
48代目の会長のせいでクラブが総辞職になったら、その時歴史が動く。
そんな大事にならないように、大山康成幹事の鋭敏且つ温情ある守護に感謝しつつ、五大奉仕(クラブ奉仕、職業奉仕、社会奉仕、国際奉仕、新世代奉仕)の各委員長よりの叱咤激励を頂きながら、心して、役務の全うに努めたい。
ロ−タリ−とは何か、「超我の奉仕」とはどんな奉仕を意味するのか。
形而下的な奉仕ではなくて、形而上的な奉仕なのか。朱子学の厳格さを超えた陽明学的な奉仕なのか。「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」を本当に実感できるのか。ロ−タリアンになることの栄誉、意義、喜びとは何か。
我々は、他に施しをできるほどに身も心も豊かであるのか。豊かになれる道はあるのか。「和をもって尊しとなす」とか「惻隠の情」を至上の徳と教えられてきた日本人が、個を主張する文化、利他以上に利己を重んじる多くの諸外国の文化と巧みに調和してこれたのはなぜか。ロータリーは理想郷を謳うためのクラブではない。できることを、できる範囲で奉仕する団体である。とにもかくにも、ロ−タリ−の問に、一言で答えるのは至難の業だ。奉仕が醸し出す混沌とした空間だ。この混沌とした謎のゆらぎの中に14年も身を置く自分自身が一番謎だ。こんなロ−タリ−の謎を少しでも解明して、会員であることの喜びを実感できるクラブ運営を試みたい。決議23−34の第1項が説いているのは、言われるままに、命じられるままに動かされる地域のロータリーであってはいけない。普遍的な真理は議論の余地はないが、多様性を大切にして、何人も何人を強いることはできない。地域のロータリー独自の文化の徳性個性を育むことを忘れてはいけないと教えているように感じる。
John Kenny RI会長は、「The Future of Rotary is in your hands.(ロ−タリ−の未来はあなたの手の中に)」をテ−マに任期を終え、Rai Klinginsmith RI会長が「Building Communities -- Bridging Continents.(地域を育み、大陸をつなぐ)」をテーマとして掲げられた。地域とは、地球という大陸を支える柱であり、大陸とは、Pax Americana (パ−クス・アメリカ−ナ)的、エゴイズムの営利が隠れた奉仕ではない。厳格は、所詮、性に合わないが、でも、いい加減ではなくて、良い加減を模索しながら、ロータリーの真理にも似た理念から外れないように、苦しみではなく、喜びとして、中庸の心地よさを感じれるクラブにしていきたい。
両手を合わせ、尊々我無し、尊々我無し。
鹿児島西ロータリークラブ・アーカイブス